日本国尾辻 秀久|おつじ ひでひさ|
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尾辻秀久

■癌対策

がんの治療に関する情報交換の為のセンターが設立されました。
現在は、医療機関の為の情報交換の場として運用されていますが、 患者の皆様への 情報提供について、今後どう取り組んでいくか、これからも センターが充実するよう精一杯取り組んでまいります。

産経新聞 2006年11月4日(土)社会面記事

【医療を問う 第4部】(6)「地域格差」解消へ

「佐藤さん、約束の情報センターができました」
 元厚生労働相の尾辻秀久参院議員(66)は3日、昨年6月に56歳でがんで亡くなった佐藤均さんの島根県出雲市の自宅を訪れ、仏前に手を合わせてこう語りかけた。佐藤さんは、日本のがん医療の向上を訴え続けた報道カメラマンだった。
 平成13年4月。大腸がんと診断され、地元の病院で手術を受けた。手術は成功したが、抗がん剤治療で副作用に苦しんだ。地元に抗がん剤の専門医がいなかったため、毎週のように東京の病院に通った。「あって当たり前」だった副作用はほとんどなく、仕事にも復帰することができた。がん治療の地域間格差を実感した。
 患者でつくる「癌と共に生きる会」の会長に就任。行政に対して、地方のがん医療の向上や欧米で使われている抗がん剤の早期承認を訴えた。
 当時、厚労相だった尾辻議員にも直談判。尾辻議員は昨年、厚労省にがん医療対策全般を扱う新しい部署「がん対策推進本部」を設置した。患者が国を動かした瞬間だった。
「患者の声から医療行政を変える」という佐藤さんらの訴えで、「がん対策情報センター」も10月1日に開設された。
「本当に患者に役立つ情報提供のため、中身を充実させていかなければなりません。佐藤さんならどうしますか…」
 尾辻議員は遺影に問いかけた。
「自分が味わった苦しみを子や孫の世代に残したくない」。佐藤さんは命を削るようにして活動を続けた。
 昨年5月。全国の患者団体が大阪で初めて集結し、「がん患者大集会」が開かれた。主催側として参加を楽しみにしていた佐藤さんの病状は悪化していた。
「参加は難しい」という主治医に、「男には命がけでやらなければならない時がある」と訴え、車いすで参加した。主治医も付き添ってくれた。
「会場からあふれる人をみて主人は身体を震わせて泣いていました。患者さんたちとずっと一緒に歩いてきたから、自分の目で反応を確かめたかったのでしょうね」
 妻の愛子さん(60)はこう振り返る。そして、「1人1人の患者がこのことを伝えてくれたら、輪が広がっていくんだね」とつぶやいた。
 大集会の1カ月後、佐藤さんは眠るように息を引き取った。
「私を先に置いていくんだね。孫たちが大きくなるまで見届けて、いっぱい話を持っていくよ」と語りかける愛子さんに、「いい人生だったよ。ありがとう」と言い残して。
 国にがん医療の地域格差解消を訴える佐藤さんの活動を、報道で知った島根県益田市の納賀良一さん(69)は衝撃を受けた。
「島根県にもこういう人がいるのか。自分も人の役に立つことをしたい」
 納賀さん自身、ぼうこうがんを煩い闘病している。昨年12月、がん患者が悩みを打ち明け合うサロンを島根県益田市内に開いた。
 同県松江市の三成一琅(いちろう)さん(61)も佐藤さんの活動に感銘を受けた1人。佐藤さんの死後、愛子さんと交流を持った。
 三成さんの紹介で納賀さんのサロンに出かけた愛子さんは、悩みを打ち明けた患者が明るい表情で帰宅する様子をみて、今年4月に自らもサロンを立ち上げた。
 愛子さんらの活動で、島根県内のサロンは9つに増えた。三成さんは隣の鳥取県にもサロンをつくろうとオートバイで奔走。行政への提言活動もしている。9月には県議会で全国初の「がん対策推進条例」も成立した。
「私にできることは、主人の遺志を1人でも多くの人に伝えること」
 愛子さんは、夫の志をしっかりと受け継いでいる。
 =おわり

 この連載は石毛紀行、長島雅子が担当しました。

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