日本国尾辻 秀久|おつじ ひでひさ|
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尾辻秀久
尾辻秀久

昭和15年10月2日、鹿児島県生まれ。

誕生〜学生時代

尾辻秀久
3歳の時に、ソロモン群島沖の海戦で父を亡くす。
父・秀一は、駆逐艦「夕霧」艦長(海軍少佐)。
享年32歳、駆逐艦と運命を共に。
 (左写真は、幼少のころ。母・智と一緒に)

尾辻秀久
高校時代は陸上部に所属。
(写真は玉龍高校陸上部のころ)
800mで県大会優勝するなど、活躍した。
その後、進学した防大でも箱根駅伝に出場。
(一区をトップでスタート、最下位でたすきをつなぐ)

防大在学中、20歳のときに母・智が41歳の若さで急死。
当時高校在学中だった妹を進学させるため、退学して鹿児島に戻る。
酒屋のアルバイトなどでお金を貯め、妹を無事大学へ進学させる。
(なお、妹・義は、日本女子体育短期大学卒業後、教職につき、母校である純心女子高校の新体操部を11年連続日本一に導いた。
 現在は鹿児島県議会議員、平成23年4月より7期目を務めている)

再度進学〜海外行脚

その後、勉強し直す為に昭和39年23歳で東大へ再度進学。
しかし、せっかく入った東大も学園紛争で授業はほとんどなし。

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昭和41年、国産車1台と当座のお金だけを持って、
海外へ行くことを決意。
25歳のときフランス郵船の船で出発。
5ヵ年をかけて世界77ヵ国を巡り、30歳で帰国。

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▲5年間の足どり
(クリックしていただくと、大きく表示されます)

帰国〜政治の世界へ

帰国後、青年活動などを行うも、高校時代の友人に勧められたこともあり、また、直接声をあげたいという思いから、鹿児島県議選に出馬。
県議を2期務めた後、平成元年7月、参議院比例代表選挙に初当選。
以降平成7年、13年、19年と連続当選し、現在に至る。

これまでに、厚生労働大臣や参議院副議長を歴任。

尾辻秀久

■これまでの主な経歴

  • 厚生労働大臣
  • 財務副大臣
  • 総務政務次官
  • 沖縄開発政務次官
  • 参議院副議長
  • 参議院自由民主党議員会長
  • 参議院予算委員会委員長
  • 参議院行政改革に関する特別委員会委員長
  • 参議院個人情報保護に関する特別委員会委員長
  • 参議院国民福祉委員会(旧厚生委員会)委員長
  • 参議院自民党政策審議会長代理
  • 参議院自民党国会対策副委員長(筆頭)
  • 自民党恩給制度調査会長
  • 自民党厚生労働部会長

■主な議員連盟・及び団体

議員連盟

  • 自民党遺家族議員協議会幹事長
  • 自民党生活衛生議員連盟副会長
  • 自民党国防議員連盟事務総長
  • 全国保育問題議員連盟会長
  • 参議院日本・モンゴル友好議員連盟顧問
  • 国会がん患者と家族の会会長
  • ドクターヘリ推進議員連盟会長
  • 医薬品のネット販売に関する議員連盟会長
  • 発達障害の支援を考える議員連盟顧問
  • 自殺対策を推進する議員有志の会世話人
  • 栄養士議員連盟顧問
  • 禁煙推進議員連盟会長

団体

  • 日本遺族会会長
  • 鹿児島県遺族会会長
  • 全日本美容業生活衛生同業組合連合会顧問
  • 鹿児島県美容生活衛生同業組合顧問
  • 全国クリーニング生活衛生同業組合連合会顧問
  • 全国飲食業生活衛生同業組合連合会顧問
  • 全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会顧問
  • 日本義肢協会顧問
  • 鹿児島県体操協会会長
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