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○委員長(片山虎之助君) 昨日に引き続き、質疑を行います。尾辻秀久君。 ○尾辻秀久君 おはようございます。 今朝は外務省に集中的に質問をいたします。まず、ドミニカ移民問題について外務省の責任をただします。この問題は過去二回当委員会で質問をいたしましたけれども、いずれも時間切れで中途半端に終わっておりますので、今日は中途半端にならないように真っ先にこの問題から始めさせていただきます。資料として新聞のコピーをお配りしてございます。ドミニカ移民と言ってもお分かりにならない先生方、おありかもと思いましたので、お読みいただきながらお聞きをいただければと思います。改めて、ドミニカ移民が行われたのはいつですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 一九五六年から一九五九年の間でございます。 ○尾辻秀久君 昭和三十年代の初めであります。前半であります。 そのころ日本は狭い国土から人間があふれ出るのではないかと心配をしていたころでありますから、国策として移民が行われました。これは常識であります。目の前におられるんで、谷垣大臣、申し訳ないんですが、そうお思いになりませんか。常識として。三十年代前半、常識として移民は国策であった、そう思われませんかという質問を、申し訳ありません、目の前におられたので質問したんであります。 ○国務大臣(谷垣禎一君) 記事を読んでおりまして、ちょっと済みません。 そのように私は子供心に理解しておりました。 ○尾辻秀久君 日本の良識を代表してお答えをいただきました。 全くそのとおりなんです。ただ、外務省だけがいつも変なことを言う。例えばです。平成十年十月十四日、このことについてどんな答弁しましたか。繰り返してください。どなたでも結構です。 ○国務大臣(川口順子君) 私がその点について前にどのような答弁をしたかということを今正確にまた再生することはできないんですけれども、恐らく申し上げたこととしては、これは昭和三十年代前半におきまして、戦前と違って、移住の在り方、戦前の移民とは違った考え方をしていたということであるかと思います。 それで、国策移民という言葉がそもそもどういうことかということについて、まあこれはいろんな考え方があると思いますけれども、例えばかつて満州に向けられていたような移民の政策、これはその国の強力な保護と指導の下で移民政策が行われて、二十か年で五百万人を満州へという計画があったわけでございますけれども、そういったことを考えて国策移民というふうに使われるということはあるかと思いますけれども、戦後の移民については、そういう意味での国策移民ということではないというふうに考えております。 ドミニカ、国策の移民の意味にも関係しますけれども、ドミニカ移民、これに関しまして外務省あるいは農林水産省が現地の調査ですとか、あるいは募集要領の作成ですとか、そういったことに関与をしていたという事実はありますけれども、当時考えられていた移住というのは、我が国としての海外への発展、こういったことを図る上で移住というのが、例えばその友好関係を増進するとか、それから我が国の海外への発展への寄与とか、そういった観点で外交の重要な柱として認識をされていたということであろうかと思います。 ただ、政府の役割というのは、これは戦後、憲法が二十二条の下で、この規定で、移住というのは個人の基本的な人権である、人権としての自由な意思によって決定されるべきものであるということを前提にいたしまして、その自由を保障するということとともに、国民に対して必要な支援、援助を行うということでございました。 いずれにいたしましても、二〇〇〇年からこの件については訴訟が今起こって、行われているわけでございまして、そういった点につきましては、これは外務省といたしましても準備書面で指摘をさせていただいております。政府として支援、援助、それを超える関与はできないし、また現に行っていないということであるわけでございます。 ○尾辻秀久君 相も変わらぬ答弁であります。特に私が許せないと思っているのは、この平成十年十月の答弁で、「国策とおっしゃいますのは今先生が表現されたことでございますけれども、」と、初耳であるかのごとく答えています。 それじゃ、聞きます。昭和二十九年、ドミニカの代理公使が岡崎大臣にあてた、正確に言いましょう、昭和二十九年八月三十一日、在ドミニカ代理公使が岡崎大臣にあてた電報があります。最初に何と書いてありますか。 ○委員長(片山虎之助君) ちゃんと用意してきていなきゃ駄目じゃないか。通告あったんだろう。 ○尾辻秀久君 通告しました。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今、昭和二十九年の文書は手元にすぐ出ないんですが、今、先ほど御指摘のありました平成十年十月十四日の内藤当時の領事移住部長の発言は、今、先生がおっしゃったとおりでございます。 ○委員長(片山虎之助君) 駄目じゃないか、電報を言えと言ったんじゃないか。何を聞いているんだ。 ○尾辻秀久君 私が怒るべきところを委員長に怒っていただきましてありがとうございました。 もう怒っていてもしようがないから、私が読みます。何と書いているか。「海外移住の促進は現下国策の一として朝野をあげて実現に努力中である」、自分たちの電報で、朝野をあげて国策としてやっていると書いているじゃないですか。国策じゃないんですか、どうなんですか。もう一回答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当初、外務省が移住問題を考えるに当たりまして、移住というのは外交政策の極めて重要な柱であったことは事実でございます。そういう意味からして国策という表現が使われたこともあると思います。 ただ、我々、常に国策と言う場合は、先ほど大臣から御説明ありましたように、満州において二十年間で例えば五百万人の移民を図るとか、そのように国が強い指導を発揮して移民政策を遂行したと、そういう経緯がございます。 そういう、非常に国が強い指導を発揮して実現した移民について従来国策という表現を使っておりましたので、そういう移民と区別する上で戦後の移民は、ほかの立場から、すなわち二国間関係であるとか、そういう人口問題という背景は当時ありましたけれども、より二国間関係の発展、あるいは世界に開くと、そういう観点から移民を遂行したということがございます。 ○尾辻秀久君 それでは、そんな言い訳をしていますが、あなた方が作った、外務省中南米局移住局が昭和四十一年五月に作った「戦後の海外移住と移住業務のあと」、あなたなんかが作ったものですよ。この中に、移住促進、移住者の大量送出は政府の方針であり国策である、はっきり書いている。ここで言う国策というのはどういう意味ですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 重要な外交政策であると、そういうふうに私、理解しております。 ○尾辻秀久君 それじゃ、国策じゃあるんですかないんですか。自分たちで国策と書いたんだ。だから、国策なのか違うのか、もう一回言ってください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 舌足らずで申し訳ございませんが、我々、国策という言葉をしばしば使ったのは、戦前の満州におけるような、国が強い指導力を発揮して、例えば二十年間に五百万人の移民を実現すると、そういう観点から国策という表現をしばしば使っておりました。 そういう戦前の移民と区別する上で、先ほど大臣からも御説明ありましたように、戦後の移民につきましては、憲法第二十二条二項に基づいて、個人の自由意思に基づいて実現すると。また、その目的としては、その目的としてはもちろんその背景として人口問題というものがございましたけれども、二国間関係の発展、あるいは世界に開くと、そういう理念を持って実現しておりましたので、重要な外交政策ということでございます。 ○尾辻秀久君 だから、自分たちで国策と書いているんだから、国策なのか違うのかと聞いているんですよ。答えてくださいよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 重要な外交政策という意味では国策と言えると思います。 ○尾辻秀久君 それじゃ国策なんじゃないですか。何で国策だということを否定するんですか。もう一回、国策であったということをちゃんと認めてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 重要な外交政策という意味で国策だという表現は使ったと思います。 ○尾辻秀久君 もうこんなところで引っ掛かってもしゃあないけれども、国策だったんですね、認めましたね。そのことだけを確認しておきます。 次に、改めてですが、ドミニカ移民が悲惨な失敗であった、このことは幾ら外務省でも認めるでしょう。 ○政府参考人(鹿取克章君) ドミニカについて、ドミニカの移民について、いろいろな経緯またいろいろな理由が複合して移民された方々が所期の目的を達しなかったということはそのとおりでございます。 ○尾辻秀久君 失敗だったということを認めるんですね。もう一回聞きます。 ○政府参考人(鹿取克章君) 移民された多くの方々が、やはり現実と自分、皆様の期待されたこととの乖離、そういうものもありましたし、また、最終的に当時所期の目的を達することができなかったと、こういう事実はございました。 ○尾辻秀久君 その責任は外務省にありますね。 ○政府参考人(鹿取克章君) このドミニカ移民問題については、今裁判の争点になっております。様々な観点から今御承知のとおり裁判が進められております。当時、外務省あるいは当時農林省ですか、昭和三十六年あるいは三十七年、国会でもかなり議論がございました。その中で、移民された方々が実際、最終的には所期の目的を達せられなかった、そういうことについては責任を感じていると、そういうことを述べた答弁はございます。 ○尾辻秀久君 そんな抽象的なこと聞いているんじゃないんですよ。外務省に責任があるかないかを聞いているんです。今まであなた方が何と答弁してきたか。これまで、今日で多分延べ二十三人目の質問になると思いますよ、このドミニカ移民問題は。その過去二十、今日を外せば二十二回、あなた方が何と答えてきたかをそれじゃ答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) ドミニカ移民の問題につきましては、その移民された方々が当初の目的を達することができず、かなりの方が帰国されたと。そういう所期の目的を達成されなかったことについては非常に残念であるし、また責任も感じていると、こういうことはこれまでも申し上げてまいりました。ただし、法的責任の問題につきましては、今裁判で訴訟中でございまして、政府としては政府の立場を述べているところでございます。 ○尾辻秀久君 あなた方がどういう答弁を繰り返してきたかということを聞いているんです。 ○政府参考人(鹿取克章君) この問題は、昭和三十六年、三十七年、それ以降も国会で度々議論になりました。その過程でいろんな角度からいろんな質問がございまして、それに対して我々もいろいろな回答、答弁をしております。 今、責任の問題につきましては、今私が申し上げましたように、移住者の方々が所期の目的を達成できず帰国された、あるいは所期の目的を達成できなかったことについては責任を感じていると、こういう答弁をしております。また、こういうふうに考えております。 ただし、責任の問題については今裁判で争われている案件でございまして、法的責任の問題については、今裁判において政府としては政府の立場を述べているところでございます。 ○尾辻秀久君 私は何も法的責任を聞いているわけじゃないです。私もこの質問するのに過去の議事録三回読み直してきたんです、全部。だから、そこに何と書いてあるか、何と答えてきたかを答えなさいと言っているんです。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今、先ほど申し上げましたように、我々この問題についていろいろな答弁を行っております。昭和三十六年以降、国会審議でいろいろ答弁しておりますが、申し訳ございません、どの問題について・・・・・・。 幾つか申し上げますと、昭和三十六年八月一日参議院外務委員会、我々としても責任を感じております、外務省としても責任は十分あると思います、こういう答弁をしております。 ○尾辻秀久君 あなたなんか私の質問に対してまともに準備してくださいよ。 じゃ、私が代わりに答えてあげる。大きく二つ言い訳しているんだよ。一つは、単なるあっせんだから責任ないんですと。こう何回答えていますか。もう繰り返し繰り返し山ほどありますよ、私、これ出せば。一つは、あなた方、単なるあっせんだから責任ないと言っているんですよ。国が単なるあっせんだから責任がないと、そんな非常識な話がありますか。国があっせんしたから逆に責任があるんでしょう。国が悪徳不動産屋みたいなことを言わぬでくださいよ。外務省の言うことさっぱり分からぬ。我々の常識と違い過ぎる。 私があの瀋陽の総領事館事件を聞きたいと思って外務省に問い合わせたら、外務省というのは誠に冷たいところだ、ホームページで調べてくれと、こう言いましたよ。しようがないから私、ホームページ出したよ、資料をくれと言ったらホームページで出せと言ったんだから、しゃあないから出した。 そこで、ここで正確に聞くからね、今度はホームページで見ろとは言わぬでくださいよ。待合室に入り込んだ男性二名が取り押さえられた際の状況、取り押さえられたんじゃないよ、連れ出されたんだよ、あれは。だけれども、この状況をもう一回説明してください。 ○委員長(片山虎之助君) だれですか。通告しているんだよ。 ○尾辻秀久君 通告している、している、これなんかもう。大きく通告しているよ。 ○国務大臣(川口順子君) 二年前の五月でございましたけれども、このときの、その連れ出されたときの状況ということですが、正門前から総領事館の事務所に駆け戻った査証担当副領事が、中国側の警察官が背後から総領事館敷地内に入ってきたことには気付いていませんでした。また、この副領事が査証待合室の長いすに二名の男性が座っているのを確認した瞬間、五、六名の中国側警察官が副領事の横をすり抜け、二名の男性を後ろ手に押さえ連行していったものでございます。というのが当時の状況でございます。 ○尾辻秀久君 総理を煩わして申し訳ないんですが、総理、聞いてください。 今の説明、こういうことを言っているんですよ。副領事がこう歩いていったと。後ろから五人の武装警官がわきを通り過ぎていった。今度は、向こうに行った二人を引っ張って、わきを通って帰って、そのわきを外に出て行った。この間、一言も発する間もなく、手を上げて制する暇もありませんでしたと言っているんですよ。こんな人間が電光石火の荒業、五人一緒にできますか。しかも、二人連れ出すんですよ。この二人が喜んで付いていったとしても、横通っていって、また二人連れて帰ってくる間に、一言も言葉を発する間がなく、手で制する間もなかったなんて説明を、あなた方は平気でやっているんだよ。 これ、常識じゃないですよ。もう全くあなた方の言うのは常識に反する。総理、そう思われませんか。 ○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 外地の大使館に勤務するという使命感とか、あるいは自らの役割ということに対して認識を欠いていた面が多々あったと思います。 ○尾辻秀久君 総理に常識どおりの答えしていただいて本当に救われる思いがいたします。 そこで、外務省がまた二つ目の理由を言っているんです。責任がない二つ目の理由、これ何か。ここはよく聞いてくださいよ。募集要項を作ったのが海協連で、略して海協連で、自分たちは募集要項を作っていないから責任は海協連にある、これが説明でしょう。そうですよね。こう繰り返し言ってきたことをまず確認します。 ○政府参考人(鹿取克章君) この点は、先生御指摘のとおり、私どもの裁判所に対する準備書面にも書いてございますが、当時、募集、あっせん等を直接携わったのは海協連であると、こういうことを述べております。 ○尾辻秀久君 それじゃ、その募集要項ができる手順を説明してください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 募集要項につきましては、現地の大使館が地元の状況を調査しその報告を受ける、あるいはドミニカ政府から情報を得る、また調査団を派遣してその調査を行う、そういう様々な活動を総合しましてまず農林省が募集要領というものを作成いたします。その募集要領を海協連に伝達いたしまして海協連が募集要項を作成いたしました。 ○尾辻秀久君 今言うように、募集要領を政府が作って、それに基づいて募集要項ができているんですね。そして、その募集要項に過ちがあったから、まあいろんな表現していますよ、募集要項に過ちがあったから、我々にはその募集要項には責任がないから責任がない、こう言っているんですよ、いいですね、こう繰り返し答えている。 今、私はここに、例えばハラバコアの募集要領と募集要項、両方持っていますよ。この募集要領と募集要項のどこに違いがあるかを説明してください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 募集要領と募集要項は同じ表現であると思います。 ○尾辻秀久君 そうしたら、今まであなた方が言ってきたことはうそじゃないですか。募集要領と募集要項、同じものなんですよ。それで、募集要項に過ちがあったから我々に責任がないと言ったって、それじゃ、募集要領と募集要項が一緒なら募集要領に責任があるじゃないですか。政府に責任があるじゃないですか。どこに責任がないんですか。もう一回言ってください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 募集要項の内容につきましては、我々も、今裁判で正にいろいろ議論をされております。募集要項の内容について誤りがあるというふうには政府の立場としては考えておりません。 ○尾辻秀久君 それじゃ、あなた、今そんなこと言うけれども、また平成十年十月、どう答えているか。募集要項、その表現につきましては、日本政府が直接書いたものではないので政府は一切責任がないと、こう言っているじゃない。この答弁と違うじゃないですか、あなたが今言っていることは。 ○副大臣(阿部正俊君) 私も、実はせんだってドミニカに行ってまいりました。それで実情を拝見いたしまして、相当難しい状況の中で皆さん苦労されたなというふうな感じを持ちました。 ただ、責任問題云々というような話がございますが、私、全体的な責任といいましょうか、政府のかかわりというのは否定できないし、現実にあったんだろうと思います。であればこそ、様々な、三十数年以降、三十二、三年から始まったわけでございますけれども、ドミニカ移住の実情を考慮いたしまして、三十六年に、その窮状にやや、言わば様々な問題を解決すべく、三十六年に、相変わらずドミニカにお残りになるか、あるいは南米のブラジルその他に移住されるか、帰国されるか、どちらかの道を選ぶようにしようじゃないかと、それぞれについて、しかも対策を取ってですね、いうふうなことを閣議決定をしてやっているわけです。 ということを考えますと、全体的な言わば政策論としては国の関与というのはあっただろうと。であればこそ、そういったふうな閣議決定をして、言わば、まあ言葉は適当かどうか知りませんけれども、政策のリセットをやっているわけでございますので、それ以降の問題としてどうなのかという、今度は別にいたしまして、当初のドミニカ政策の移住の政策というものが当初の予期どおり進まなかったということは先生の御指摘のとおりだと思います。 ○尾辻秀久君 いや、副大臣がおっしゃることはそのとおりだろうと思うけれども、私が今聞いているのは、今までうその答弁を繰り返してきただろうと言って指摘しているんだから、うその答弁してきたかしてきていないのかを答えてくださいと言っているんですよ。移住部長、答えてくださいよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今、先生の御指摘の平成十年十月十四日の衆議院の議事録を手元でチェックしております。その中で、政府側の答弁といたしましては、「一方で、募集要項、その表現につきましては、日本政府が直接書いたものではないという意味においては、仮に誤解が生じたとすれば、その日本政府の伝達した情報が募集要項に書かれた際に不十分な解釈が行われたと考えます。」と、こういう答弁はございます。 ○尾辻秀久君 だから、そうじゃない。自分たちが出した情報というのが募集要領じゃない。それがそっくりそのまま募集要項になった。どこでどういう誤解があったの。どこで間違ったの。 ○政府参考人(鹿取克章君) 先ほど一度御答弁しましたように、本来、政府が、農林省が当時募集要領を作りました。それを海協連に伝達しまして、それで募集要項ができました。当時、海協連は財団法人として独立の主体としてございましたから、海協連として農林省から伝達を受けた募集要領に基づいて募集要項を書くということはできたことだと思います。 ただし、実際には、当時、海協連としては農林省が作成した募集要領をそのまま募集要項として出したと。したがって、ベースは、それはベースは募集要領でございまして、その募集要領に基づいて海協連が募集要項を作ったと、こういう一つの仕組みはございました。ただ、結果としては募集要領と募集要項は同じものでございます。 ○尾辻秀久君 今、最後にあなた言ったじゃない。募集要領と募集要項は一言一句違わないんだ。全く一緒なんだよ。 それで、募集要項が間違いでしたから我々には責任がありませんと繰り返し繰り返し言っているんだけれども、ということは募集要領が間違っていたんじゃない。自分たちの根本が間違っていたんじゃない。それを今までずっとその答弁繰り返してきているんですよ。うその答弁しましたと言って謝りなさいよ、もう。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時の答弁が誤解をもしも招いたということなら本当に申し訳なく存じます。 ただし、先ほど申し上げましたように、当時できていた仕組みというのは、農林省が募集要領を作り、それを基に、それを基に海協連が募集要項を作ると、こういうことでございました。 ○尾辻秀久君 もう言うことは一杯あるからこんなところで止まりませんけれども、本当に、(発言する者あり)与党の理事が止めたくなっていますよ。 これ、もう一つ読んでおきますけれども、あなたなんか本当、白々しい。募集要項によりますと、最初は十五万円の現金を持っていくように、それから後の募集になりまして十万円というふうに書いてございますが、我々も今調べておるのでありますがなんて、募集要項に書いてあるから我々は関知もしなきゃ知らないみたいな答弁をしたこともありますよ。募集要領にちゃんと十五万持っていけと書いているんですよ、募集要領に。 まあ、こんなことだというのを分かっていてください。 次、行きます。 まだ外務省の責任幾らでもあるんです。移住協定を結んでいないという大失態を演じているでしょう。最終案文までできていますよ、移住協定は。なぜ結ばなかったんですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 先生御承知のとおり、ドミニカ移住につきましては、昭和三十一年三月二十七日付けのメルカード書簡、これに基づいて移住を開始いたしました。当時、その段階では移住協定を結んでいないことは先生の御指摘のとおりです。 ○尾辻秀久君 三月二十七日の問題は慌てなくても後でゆっくり聞くから、先に、なぜ募集、いや、移住協定を最終案文まで作りながら結ばなかったのかという質問をしているんです。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時、政府はドミニカ移住が開始された後にドミニカ政府との間で移住協定の締結の件の検討を進めました。今御指摘のとおり、案文もできております。 ただし、その後、ドミニカの政変等、ドミニカにおける諸事情のために最終的には協定締結に至らなかったと、こういうことでございます。 ○尾辻秀久君 諸事情とは何ですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当初のドミニカの事情でございまして、国内の政治的安定性が損なわれ、また最終的には、当時、移住を非常に積極的に推進したトルヒーリョ大統領も暗殺されたと、そういう事情がございます。 ○尾辻秀久君 うそ言っちゃいけない。あなた方が単に焦って急いだだけでしょう。 昭和三十一年三月、ドミニカに、在ドミニカ吉田大使から重光外務大臣に書簡が来ている。何と書いていますか。細目の点で若干の不満はあっても、大局的見地によりこれをのんで、ひたすら実施の方を推進することといたしたくと。要するにひたすら実施したいと思っていたんですよ、あなたたちは。だから無理やり急いで協定もないのにやったんでしょう、認めなさい。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時、政府としてドミニカ移住を是非成功させたいと、できるだけ速やかに成功させたいと、そういう気持ちがあったことは事実であると思います。 ○尾辻秀久君 この問題もあなた方の大失態なんです。 これはアルベルト・E・デスベラデルという、駐日大使をした、ドミニカの駐日大使をした、しかも五年間日本の大使をしたキャリア外交官がいますよ。この人が何と言っているか。日本国側が急速に事を進める余り、移民の送り出しと入植のペースがうまく合っていなかったのは明らかであった。日本政府官僚はその場限りの対応で過失を犯してしまった。日本外交政策の悔やまれる過ちであり、国家主権間外交術を知る者にとって理解し難いことである。ここまで決め付けていますよ。日本外務省は恥を知れと言いたい。 そこで、さっきの話に行きましょう。 あなた方は協定結ばなかったから交換公文で済ましたと、こう言っていますね。そして、その交換公文が三十一年の三月二十七日、これで交換公文だと言っている。これはこれでいいんですね、もう一回答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) ドミニカ移住の内容が固まりましたのは、三月二十七日の交換公文でございます。 ○尾辻秀久君 じゃ、全部読んだら時間掛かるから、そのメルカード農務大臣発吉田公使あて書簡、第二フレーズのところを読んでください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 「本大臣と閣下及び過日当国を訪問された日本使節団各員との意見交換に基づき、両国政府間の取極及び日本人移住者定着のための基準は、本書簡に対する返簡との交換によって確定されるものとするが、その内容とする約定及び相互条件はこれを下記の如く要約される。」。 以上でございます。 ○尾辻秀久君 本書簡に対する返簡との交換によって確定されるって書いてあるじゃない。まだ返簡はしてないじゃない。何でこれで確定するんですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) ドミニカ移住につきましては、三月二十七日のメルカード書簡に至るまでの間、日本とドミニカで協議、また折衝いたしました。実質的には三月の初めに内容はおおむね固まっております。その確認が参りましたのが三月二十七日でございますので、日本側としてはこれをもってドミニカの大枠は定まったと、こういうことで理解いたしました。 御指摘のとおり、返簡を出しましたのは四月二十四日でございます。 ○尾辻秀久君 それが確定の日じゃないですか。返簡で確定すると書いているのに、何で三月二十七日で確定したと言うんですか。もう一回説明してください。 ○政府参考人(鹿取克章君) ドミニカ移住の問題につきましては、数か月にわたりドミニカ政府と折衝しております。今申し上げましたように、内容的には三月十二日に固まりました。その後、三月二十七日にメルカード大臣から書簡が参ったわけでございます。その段階で日本側としては、日本側の要望していた点が基本的に定まっているので、そこで日本とドミニカとの間の合意が確認されたと、こう理解したわけでございます。 ○尾辻秀久君 極めてそれも苦しい。きっちり書簡を返した時点で確定するとしているんだから、その日にしなきゃいかぬでしょう。 それで、聞きますよ、その間、あなた方はどうしようかということを検討していませんか。その返事をどうしようかということを自分たちの内部で討議していませんか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 申し訳ありません。その点については、今手元にちょっと資料を持ち合わせておりません。 ○尾辻秀久君 四月十日、吉田公使から重光大臣にあてた電報がある。引っ張り出して読んでみてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 申し訳ございません。今手元にちょっと持ち合わせておりません。 ○尾辻秀久君 これはまあ、これを示してまで通告していないから、ないと言われればまあ少しは許してあげるけれども、このぐらいのものは分かっているんだから用意してくださいよ。 何と書いているか。いろいろ書いて、今の件ですよ、右に同意をせる旨を回答して差し支えないか折り返し御回電ありたいと言っているんですよ。こんなことまで協議しているんですよ、その後、四月の十日に。 これ見せるから、事実認めるかどうか調べてください。ちょっと来てください。これ見てあなたは何と答えるか。(資料提示) ○政府参考人(鹿取克章君) 今御指摘のは外務省の電報でございます。 ○尾辻秀久君 で、何と書いてある。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今、先生が一ポツお読み、読まれました。二ポツの方は、右交換公文により両国政府の合意成立したものとなし、今後の移住者に関しては、当分の間、右公文を引用しつつ、その都度簡単な公文を交換することとし、適当な時期を見計らって・・・・・・ ○尾辻秀久君 その前、その前。あなた、都合のいいところ読むなよ。その前何と書いてあるか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 一ポツは、まず本省より、三月二十七日、農相来簡に対し、我が方よりコンファーミングレットを出すつもりであるが、これはちょっと、済みません、読めません、ドミニカ外務省を経由する要、する要なきやとただしたところ、農相は、政府首脳部にて話合い尽きおる、尽きおるにつき、直接自分あてにもらいたしと答えた。ついては、本省より、前記来簡を受領したこと、及び右に同意せる旨を回答して差し支えないか折り返し回電ありたいと。 ○尾辻秀久君 見てごらんなさいよ。書いてあるじゃない。まだその時点でよろしいと回答していいかって聞いてきているじゃない。あなたなんか内部で議論しているんだよ。 もうね、だんだん腹立ってくるから、もうこの問題、もうここでいいよ、もう。あなたとやっていると長生きできなくなる。 ただね、外務省、まだまだ大罪を犯しているんです。一番私は外務省犯した大罪の中でひどいと思うのは、事前調査が余りにもずさん。これは、さっきからあなた方は戦前との比較しているけれども、これはあなたなんか本当にひどいと思うけれども、しゃあしゃあと昭和三十七年二月の衆議院の内閣委員会ではこう言っているよ。戦前の移民が棄民であったこと、棄てる民ですよ、戦前の移民が棄民であった、棄てる民であったことは、そう言われても致し方がないと思うのであります。もう戦前の移民なんて棄民だったというのを認めているんですよ、あなた方は。まあその神経たるやすごいものだと思うんだけれども。 それで、私が言いたいのは、その棄民であった戦前の移民でも、例えばアマゾンの事前調査、こんだけの事前調査作っていますよ、事前調査を作っている。(資料提示)比べて、ドミニカの事前調査はこれ。ページ数十五ページ。これとこれ比べてくださいよ。あなたなんか、こんなひどいことで送ったんだよ、人間を。正に地獄に送ったんだ。 この要した日数の違い、答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 外務省の、外務省の調査、事前調査ですが、昭和三十五年、これは一か月ぐらいにわたり数か所、五か所を巡っておりますし、また首都にもおりますので、一か所に当たった日数というのはかなり限られたものだったと思います。 また、昭和三十七年においても調査をしておりますけれども、一地域については二日ないし三日調査したと、調査したものと考えております。 ○尾辻秀久君 こっちは二年掛けて調査したんです。あなた方が棄民と言っている移民でも二年掛けて調査して送ったんですよ。一か月、十五ページで送ったのがドミニカなんですよ。 しかも、ここに何と書いているか。調査団は、限られた時日内にできるだけ多くの地域を調査せんと試みたが、まず第一に逢着した、出くわした難問は、資料の欠乏ということであった、実地踏査に当たって利用し得た地図でも四十万分の一というのが最大のもので、四十万分の一の地図が最大だったと言っているんですよ。それで、地形、面積等も地図だけでははっきりせず、勢いド国政府の説明そのままのまざるを得なかったわけで、この点、正確を期し難い、正確でもないと言っているんですよ、わずか十五ページの調査は。それであなたなんか送ったんですよ。 しかも私は、あなたなんかを許せないのは、これ、もう今日は許せないことが多いんだけれども、平成四年二月に、平成四年二月、そう昔じゃないですよ、我々参議院の外務委員会で、久保田先生がこの報告書を出せと言った、出せと言った。何と答えたか。要するに、二国間の、二国間の微妙なことが書いてあるから、これ出せませんと、こう答えているんですよ。この報告書、十五ページの報告書を久保田先生に出せと言われて、二国間の微妙なことが書いてあるので出せませんと答えている。この十五ページのどこに二国間の微妙なことが書いてあるか示してください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今先生御指摘のは、吉岡当時の調査団長の報告であると思います。これはちょうど十五ページにわたります。この報告書は今は公表されております。 ○委員長(片山虎之助君) 答弁に、正確に答えなさいよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) また、今、先生がどういう点が二国間で機微な問題があり得るかということを御指摘になりましたけれども、当時我々は、トルヒーリョ将軍、トルヒーリョ元帥が日本のドミニカ移住に、を非常に後押ししていただいたところでございますが、多少こういうトルヒーリョ大統領に対する評価、そういうものは入っております。 ○尾辻秀久君 もう一回聞きますが、それが公開できない微妙な二国間の関係が記述されているということですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) その後、我々の方でこの文書を検討して公表した次第でございます。 ○尾辻秀久君 自分たちの都合の悪いことが書いてあるから公開しなかったんですよ。それで、検討して公開したみたいなこと言わぬでください。これは、外交文書の公開の期日が来たから公開しただけじゃないですか。いい加減なことを言わぬでくださいよ。もう一回答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) これは外交文書の公開の一環として公開いたしました。 ○尾辻秀久君 もう皆さんもお笑いになるけれども、怒りが頂点に達すると噴き出したくなるんだけれども、正にその状態でね。今答えたことともう違うことを答えるじゃない。もう、委員会を侮辱しないでくださいよ。外務省、本当にこれは、しょっちゅうこれやるじゃない。もう一回、先ほどの答弁誤りでしたと言ってよ。 ○副大臣(阿部正俊君) まあ、お答えになるかどうか分かりませんけれども、当時議論された情報の取扱いの物の考え方とそれから最近の考え方というのは大分違うんではないかというふうな気がいたします。当時とは、先ほど言いましたように、三十年代初めに行われた移住というのがうまくいかなかったということを前提にいたしまして、三十六年にもう一度、言わばやり直しというようなことで三つの、帰国それから南米移住、それからドミニカへの残留ということを、三つの方針をもう一回意思確認いたしまして、それぞれについて所要の施策を取ったというふうな時期に論議された背景がございまして、率直にそういったふうなことでの評価というものが語られて、そのときの状況でございますし、しかも、微妙なといいましょうか、何が微妙だということを言われましてもなかなか言いにくいところありますけれども、全般的に言いまして、やはり当時は外交文書といいますと何となく秘だというふうな雰囲気が非常に強かった 時期ではなかったのかなと、こんなふうに思います。 そういう意味で、現在の時点に立ち返ってみれば、必ずしも秘というふうに扱わなきゃならなかったのかどうなのかということについては、私は十分これからの反省材料として考えるべき問題ではないかと、こんなふうに思います。 ○尾辻秀久君 日ごろの仲間が出てきて答えられるとこれ以上嫌みも言えなくなるから、先に行きます。だけれども、移住部長、本当にあなたはひきょうだ。 今の答弁にもありましたね。今度は三十六年に仕切り直すんです。そのときに調査に行っている。 その報告書は今日持ってきていますね。この報告書のナンバー十一、十一ページ目を二行目の後ろから読んでください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今の先生の御指摘のは、昭和三十六年の池田、当時のドミニカ支部長の報告でございますね。 ○尾辻秀久君 その二行目の「小職」というところから。 ○政府参考人(鹿取克章君) 小職、先年視察したブラジル、パラグアイ、ボリビア、アルゼンチンなどの日本人移住地や青森、岩手、山梨、宮崎各県下の戦後の開拓地などと比較して、諸種の悪条件がこれほど重なっている移住地はほかにちょっと思い当たらぬぐらいであって、同行の飯島事務官も同様の所感を述べられていた。もちろん、同行の移住者たちに対してはかかる所感は述べなかったが、内心彼らもよく今日まで頑張ったものであると感じざるを得なかった。 ○尾辻秀久君 そのとおりでしょう。正にあなた方はこんなひどいことをやったんだというのは認識しておいてくださいよ。移住地をずうっと見てきた人が、こんなひどいところは初めて見た、よくぞここまで頑張ったものだという報告書を上げているんですよ。この事実はちゃんと知っておいてくださいよ。 そして、まあこの報告書は良心的な報告書だから、もう読むとますます腹が立ってくる。じゃ、十二ページ、十二ページの後ろの方、「然るに」というところから読んでみてください。 ○委員長(片山虎之助君) 鹿取部長。 早くやれよ。勉強してきなさいよ、あなた。 ○政府参考人(鹿取克章君) 然るに、然るに、この地の自然条件について少し考えてみれば、ネイバのあるバルコ県はドミニカの小学校用地図にても明記されているごとく、年間雨量五百ミリ以下でドミニカにおける最高の乾燥地帯である。 ○尾辻秀久君 もう、いい。 あなた方が入植させたのはドミニカの最高の乾燥地帯に入れたと書いているじゃない。小学校の教科書にも書いてあると書いている。こんなことやったんだよね。 じゃ、どんなひどいところに入れたか、もう少し明らかにしますよ。最初に入植させられたダハボン、どんなところですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) ダハボンにつきましては、土地の状況でございますけれども、土地は、埴土又は埴土壌、石灰分に富む。浸水対策、かんがい施設の設備が必要。この地区は十万タレアの面積に約二百戸の入植が可能とされているが、浸水地帯、耕作不適地もあり、利用可能地は一万タレア、さらに四十戸が適当、等でございます。 ○尾辻秀久君 私が草の根無償援助をここにしたからどんなところだって聞いたら、あなた方は全然違う答えを持ってくるんです。質問によって適当な答えをするからそうなんだ。草の根無償をしたからどんなところだと言うと、ひどいところだって書かないと草の根無償したことにならぬものだから、何と言って書いてきたか。 ドミニカ共和国の中で最も貧しい地域として位置付けられている北西部にあるダハボン市は、国境地帯であること、就職の機会がないことなどの条件が相まって、売春や麻薬の密売の横行する土地である、こう私のところへ持ってきたんだよ。こんなところにあなたなんか平気で入植させたんだよ。 じゃ、アグアネグラはどんな土地ですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) アグアネグラでございますが、入植当時は余り手入れがされていなかったこともあり、既存耕地は余り良好とは言えなかったが、傾斜地が多いものの土質自体は優良であったと、こういうことでございます。 ○尾辻秀久君 土質自体は優良であったって、まああなたよく言うよ。本当にまああなたの感覚をもう疑うけれども、まあもうここでその見解始めていてもしゃあないからね。あなた方がまた私に持ってきた、どんな土地だったかという説明を読みますよ。 南西部ハイチ国境に近い日本人移住者が最初に入植した土地の一つであるが、ドミニカ共和国では貧困地帯に属し、開発の後れている土地である。要するに、そんなところなんです。 私がまず問題にしたいのは、見事に国境にだあっと並べられている。入植させられたんです、国境にずっと。この理由を述べてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時、ドミニカは国の開発を進めておりましたが、国境地帯についてはまだ未開の地が多かったので、国境地帯を中心に移民を推進したと、そういうことでございます。 ○尾辻秀久君 だから、向こうにしてみれば、人間の盾地に日本人入植者を国境に並べたんじゃないですか。それをあなた方は知っていてやったでしょう。知らなかったんですか、答えてくださいよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時、吉岡団長の報告書も引用の、引用がありましたけれども、当時、国境地帯に日本人移民が期待されていたのは、正に国境地帯の開発、それに日本の優秀な移民を、移民の方々に入っていただきたいと、こういうドミニカ政府の考慮があったものと理解しております。 ○尾辻秀久君 私が聞いているのは、人間の盾にされたんですか、されなかったんですかということを聞いているんです。 ○政府参考人(鹿取克章君) 人間の盾ということは、私どもの理解には一切ございません。 ○尾辻秀久君 それでは、昭和三十三年十月、小長谷大使、当時の、が藤山愛一郎当時の外務大臣に出した、これは文章だな、これの七ページ、最初の方に何と書いてあるか読んでください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 申し訳ございません。今ちょっと手元に資料がございません。 ○尾辻秀久君 あなた方は、まあ大体都合が悪くなるとすぐなくなるんだ。私が代わりに読みますよ。もう肝心なところだけ読む。「一九四八年のドミニカ移民法の第二章に「国境地帯移住」が規定されている。」、「本邦移住者も、右のアイデアによって導入されたものと思考される。」。 大使がちゃんと報告しているじゃない。これ違うんですか、どうですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 申し訳ございませんが、今の資料そのものは手元にございませんが、当時、日本の移住者の最初の移住が国境地帯に行われたことは御指摘のとおりです。ただし、国境地帯だけではなくて、コンスタンサ、ダハボン等国境から離れたところにも日本の移住が行われました。 ○尾辻秀久君 そういうことを聞いているわけじゃないでしょう。人間の盾にされるということを承知の上で送ったでしょうと聞いているんですよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 人間の盾であるということは承知しておりません。 ○尾辻秀久君 まあ、口が裂けてもそれは言えぬでしょうね。あなたの立場は分かる。しかし、公開された文書によって、外務省が知っていたことだけは明白だということを言っておきましょう。 そこで、今の話じゃないですけれども、移住者の皆さんが入植されたところに行ってくださいよ。阿部副大臣はさすがに立派だと思うけれども、行っていただいた。涙が出ますよ。本当に涙が出る。あそこへ行って涙が出なかったら人間じゃないと思う。 ドベルヘ、塩の砂漠ですよ。大臣は、あそこに塩があるかないかが裁判の争点だからと言って、この前変な答弁しましたけれども、一遍行ってみてくださいよ。それで、あそこに塩がないと大臣が言ったら、もう私は大臣は人間じゃないと思う。 ネイバは石ころだらけですよ。石の山ですよ。もう掘っても掘っても石なんですよ。入植した人たちが必死になって、その石を何とかしようと思って掘って山にした石の山が一杯あって、あれを見ると本当に涙出ますよ。だけれども、まだ下も石だったんですよ。 このドベルヘについて、去年十月二日、今言ったように大臣に質問しました。大臣の答えは、「今の時点では承知しておりませんけれども、調べて報告をさしていただきたいと思います。」と答えていただきました。今日に至るまで報告がありません。なぜですか。 ○国務大臣(川口順子君) これにつきましては、その後阿部副大臣に現地に飛んでいただきました。阿部副大臣がいろいろな、ヘリコプターで視察をしていただいて、そういった状況について話を聞いております。そういった点について、もちろん御質問をいただいたらお答えをするということで考えておりました。 ○尾辻秀久君 報告すると言ったものは、私に大臣が報告なさるのが人の道じゃありませんか。私はそう思います。大臣は人の○○もう副大臣、いいです。大臣は人の道に反したことをなさったとあえて申し上げておきます。いいです、いいです。 ○委員長(片山虎之助君) 答弁さしたらいいじゃないですか、答弁さしたらいいじゃない。川口外務大臣、川口外務大臣、何で報告しなかったかということだよ。 ○国務大臣(川口順子君) 予算委員会の場で御報告をするというふうに考えておりました。 ○委員長(片山虎之助君) そんな報告あるか。 ○尾辻秀久君 正にそのとおりで、十月二日から今日まで何日たっていますか。それで今日私から報告がないと言われて、予算委員会で報告するつもりでしたなんて、そんなふざけた答弁ないですよ。 ○委員長(片山虎之助君) もう一遍やれ、川口外務大臣、川口外務大臣。 ○国務大臣(川口順子君) 阿部副大臣に飛んでいただいて調べていただきましたので、阿部副大臣から御報告をさせていただきます。 ○副大臣(阿部正俊君) 直接お目に掛かる機会が作れなかったことをおわび申し上げますが、私の印象といいましょうか、技術者でございませんので、当時に返っての調査はできませんですけれども、ネイバにつきましてもドベルヘにつきましても行ってまいりました。 その感想的なことを申し上げますと、これはネイバについては石が大変多いという土地であるということは事実でございます。それから、ドベルヘにつきましては塩、塩分が含まれておるという土地がありました。ただ、この土地については、必ずしも果たしてそこが入植予定地だったのかどうなのかということは、必ずしもはっきり確認できませんでございました。ただ、両者とも、両地とも、私の、昔、私も農家の子供でございますので、それから言いますと、相当やはり、そのままの土地で食物がたわわに実るというふうな土地ではないなという感じは持ちました。現に、両地とも、ネイバにつきましてもドベルヘにつきましても、現在入植者はゼロでございますということでございますので、相当条件はいいものではなかったということは確かではないかな、こんな感じを持ちました。 以上でございます。 ○尾辻秀久君 仲間内だから褒めるわけじゃないですが、この中で良心的な答弁しているのは阿部副大臣一人じゃないですか。あなたはいい加減過ぎますよ。 大臣、あのとき私が質問したのは、ちゃんと現物見せて、例えばドベルヘの土地に塩分があるとの点を強調せられることは移住者に不安を抱かしめるおそれあり。この辺、移住者に対し本省担当官において要領よく御説明なるよう特にお願いすると書いているのを指摘して、こんなひどいことをあなた方はやったんでしょうと聞いたんですよ。その答え、まだないじゃないですか。 ○国務大臣(川口順子君) まず、このネイバ、ドベルジェの両地区について、そのときに先生がお引きになられたようなそういう表現というのも確かにそこにあるわけですけれども、またその文章の違うところを見ますと、例えば、今時視察の結果を総合するに、ネイバ、ドベルジェ両地区とも概して良好なりとの印象を得た。上述のごとく、地質、水量、気候等については横田支部長より報告あるはずであるが、これを、要するに諸般の条件はダハボン地区と大同小異であって優劣を論ずることは至難であるということも書いてございまして、そういうおっしゃったようなことは書いてありますが、そういう総合的な判断としては今申し上げたようなことがあるわけでございます。 いずれにしても、この点、二〇〇〇年から訴訟がありまして、正に国の責任をめぐってこれは訴訟が行われているわけでございます。我々としては、政府はこれについては責任がないという立場から司法の場で議論をさせていただいているわけでございます。係争中のことでございますので、いろいろ委員のお立場その他十分によく分かっておりますけれども、この場でそういったことが、判断が妥当であったかどうかということを議論させていただくというのは適切ではないというふうに思っております。 ただ、いろいろ、この前予算委員会で委員から御質問があって以降、私も、阿部副大臣に行っていただいたり、そのお話を伺ったり、それからそれなりにいろいろな話も聞いたわけでございます。それで、確かにいろいろな、大分、もう四十年を超える昔の話に始まったことでございますので、いろんな事情がその当時 あった。その結果として、何人か日本にお帰りになられた方もいらっしゃいますし、昭和三十六年の時点で閣議決定をして、そういった措置を取るという事態もあったわけでございまして、一方で非常に現地に行かれて成功していらっしゃる方もいらっしゃいますし、他方で不幸にしてそういうことではなかったという方もいらっしゃいますし、そのいらした方々、成功なさった方も失敗なさった方も、当時のその状況での暮らし、異郷での暮らし、これは大変なものがあったというふうに私も思っております。 そういった方の本当に御苦労というのは大変なことであると思いますけれども、それはそういった認識を持ち、かつ、その方々、それぞれの方は、成功なさろうと思って行かれた中にその志を達せられなかった方がいらっしゃるということについては本当に私はお気の毒だと思いますけれども、それは司法の場で別途争 われているということでございますので、ここについて、委員は国に責任があるというお立場で議論を展開をしていらっしゃるということでございますけれども、国としては別な立場で今司法の場で議論をさせていただいておりますので、そういったことにつきましては国の立場を司法の場で主張をさせていただきたいということであるわけです。 それから、いろいろな話あるいは報告等を聞いて一つ私が思いますことは、大変に、三十六年の、阿部副大臣のお言葉で言えばリセットの後、その後うまくいった方もいらっしゃるわけでして、ただ、不幸なと私が思いますのは、ドミニカという国にあって仲良くみんなで暮らしていき、そして日本とドミニカの友好の懸け橋になっていただきたい、行かれた方々が今その訴訟ということをめぐって二つに分かれているということが私は非常に不幸な状況であるということ、いうふうに思うわけでございます。 それで、国として、これは大変に難しい問題でもあるこの今の状況をどうやっていくかということは大変に難しい問題であるというふうに私は認識をしておりますが、やらなければいけないことというのは、やはり今後その日本とドミニカの関係を考えていきますときに、この現地で分かれている日系人の社会、これをやはり一つにまとめて、日本と、この方々がせっかく行かれているわけですから、日本とドミニカの懸け橋になっていただくような、その皆さんが一緒に仲良く暮らしていけるような、そういうようなことにしていかなければいけないということであると私は思っております。 それで、そのためにどうしたら国としていいかと。訴訟は訴訟といたしまして、それとは、政策の話として今後どのようにそれを、仲良くしていただくために国として働き掛けることができるかということは現地の大使も今一生懸命にやっておりますけれども、このことに関心をお持ちの諸先生方にも私としては是非そういった角度からいろいろお知恵もいただきたいと思っておりますし、御協力もいただきたいというふうに思っております。 いろいろな問題はたくさんあるわけでございまして、訴訟の場での議論は議論、そして、今大事なことは、今いる人たちがいろいろまだ苦労を重ねているとしたら、その方々に何が国としてしてさしあげられるか。そして、何よりも大事なことは、協調して一緒に仲良く日系人の社会を作っていく、これができないということは非常に不幸であって、それをどのようにしたらいいか、是非諸先生の御協力もいただきたいと私としては思っております。 ○尾辻秀久君 非常に強調した、現地の日系人社会が二つに割れている、これは明らかに現地大使館がやった仕業ですよ。そして、それに草の根無償を使ったんですよ。このことは日を変えてしっかりまたやりますから、証明しますから、どんなに草の根無償むちゃくちゃやったか。資料全部ある。今から一時間でもやり直せますよ、ここにもある。だけれども、これは日を改める。だから、今みたいな説明はしない方がいい。 それから、それからさっきはそこまで言わなかったけれども、国境に並べたためにどんなひどい目に遭ったか。その辺に囚人の開拓地があったんですよ。女性は強姦事件に巻き込まれ、殺人事件に巻き込まれた人もいる。それに対して、昔のことだからとか、今裁判で争っているから、よく言いますね、あなたは。本当にさっき言ったように、大臣は、何というか、こっちの言い方によっては怒られそうだから言いませんけれども、何かですよ。 で、外務省何やっているか。さっき、二十七日のことでも、なぜ二十七日にこだわったかというと、二十九日に募集を始めたから二十七日に終わっていないと都合が悪いから、あれ言っているんですよ。それで言っているんですよ。 そしたらね、私は、裁判もね、裁判の話したから、私も裁判を傍聴していますよ。この二十七日にしないと都合が悪いんでしょう、二十九日に募集を始めたからと聞かれて、何と言って答えたか。そんなのの後先どうでもいいでしょうと言って法廷で答えていますよ。外務省というのはそんな仕事をするところですか。募集を始める前に、募集を始める、まだ何にも決まっていないうちに募集を始める役所なんですか。もう一回聞きます。 ○国務大臣(川口順子君) 当時の事実関係に関することですので、鹿取領事移住部長からお答えをさせたいと思います。 ○政府参考人(鹿取克章君) 私どもの記録では、当時、三月二十九日に募集要項を海協連に、募集要領を海協連に渡しまして、四月から正式に募集を開始したと、こういう記録が残っております。 ○尾辻秀久君 その事実関係聞いているんじゃないんだ。そんなことの後先はどうでもいいだろうと答えたことに対して、外務省というのはそういう仕事をするところかを聞いているんです。 ○政府参考人(鹿取克章君) 申し訳ございませんが、後先どうでもいいだろうという発言については、私、承知しておりません。 ○尾辻秀久君 発言した人がそこいるよ、聞いてくださいよ。後ろにいるんだよ。後ろにいるから聞いてくださいと言っているんだよ、発言した人が。だから、事実確認してよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 申し訳ありませんが、今確認できません。 ○尾辻秀久君 後ろにいるのがなぜ確認できないんだ。 ○委員長(片山虎之助君) 確認しなさい。 手を挙げろ、出たいなら。 ○政府参考人(鹿取克章君) そのような発言はなかったと。今の段階では確認できておりません。 ○尾辻秀久君 じゃ、ちょっと止めてください。私、議事録持っているんで、ちょっと議事録示すから、委員長、止めてください。 ○委員長(片山虎之助君) 時間止めろ。 速記も止めてくれ。 〔速記中止〕 ○委員長(片山虎之助君) 速記を起こしてください。 再開します。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今、当時の記録を確認中でございます。 ○尾辻秀久君 言った本人がいるのを、むちゃくちゃな話です。 じゃ、最後に一問します。 こういう答弁をしたことがあるんです。ドミニカ政府は三百タレアを上げますということを確約した文書がございます。これは外務省に残っております。どういう文章か、その文書の箇所を読んでください。 ○委員長(片山虎之助君) 早く。 ○政府参考人(鹿取克章君) このダハボンの移住に先立ちまして、日本とドミニカ政府の間でいろいろと折衝がございました。幾つかの会談の記録がございますが、今私の手元にあるのはメルカード書簡でございまして、そこでは三百タレアまでの土地と、こういう表現になっております。 ○尾辻秀久君 違うんだよ。 そういうことをいろいろ言われて、苦し紛れに何と言ったかというと、確約した文書がございます、これは外務省に残っておりますと言って、持ってこいと言ったら、持ってきた文書を私は持っているんだよ。あなた方が持ってきた文書を私はここへ持っているのよ。これが何で読み上げられないの。 ○政府参考人(鹿取克章君) 私の方の手元にある一つの記録でございますけれども、これについては、日本人移住者一世帯に一律三百タレアの土地配分を要求したところ、トルヒーリョ元帥との会談で受け入れられたと、こういう表現が一つございます。 ○尾辻秀久君 あなた方が持ってきたやつを読みますよ。 ゆえに三百タレアまではもらえるという可能性は残しておきたいと答えたのに対し、農相は、向こうの人でしょうよ、本当に耕すなら三百タレア与えることはやぶさかでない。次に、耕地しない森林地域は移住者圏の共有にしておくのも一案と思うと述べた。 確約した文書があるといったら、普通は向こうの人が書いて署名した文書を確約した文書というんですよ。あなた方が持ってきたのは、向こうから報告が来た、そんなことを、それも、こうしたいですねと言ったら、いいですねと言ったんですという報告を持ってきて、これが確約した文書ですと。 日本外交というのはこんなことをやっているんですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) このドミニカのダハボンへの移住につきましては、三百タレアの土地の供与をめぐって何回か折衝がございました。先ほど私が引用しましたのも、トルヒーリョ元帥との会談の一つの記録でございまして、その中でも三百タレアという表現がございます。 ○尾辻秀久君 だから、確約した文書というのは、向こうの人が書いて署名したのを確約した文書というんでしょう、普通。それを今度持ってきてください。 今日はこれで終わります。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今申し上げましたように、三百タレアの土地をめぐっては、日本政府とドミニカ政府で何回かいろいろ協議がございまして、その協議の経緯をまた御説明に上がりたいと思います。 ○委員長(片山虎之助君) 関連質疑を許します。舛添要一君。 ○舛添要一君 舛添要一です。 総理、それから官房長官、今の尾辻先生と役所のやり取りを聞いてどう思われますか。あきれた顔して聞いている。 それで、私の感想をまず一つ言います。 やっぱり彼らの先輩がやったことであれ、国でやったことで誤った政策だったら、訴訟中であったって政治的リーダーシップを発揮してしかるべき対応をちゃんとやる、補償する、謝罪する、そういうことがなければ駄目です。坂口大臣、ハンセン病のときにやりましたね、同じことを。それで非常に評価が上がったわけですよ、政府の。どうですか。 ○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 過去のこととはいえ、外務省として多々反省すべきことがあったと。今後、このような不手際を認め、移住者に対してどのような対応ができるか。また、ドミニカとの間にどのような友好関係を維持発展させていくことができるか。そういう中でしかるべき対応を考えたいと思います。尾辻秀久君 御配慮いただきましたし、お許しいただきましたので、さっきの後先の話だけは事実関係を確認しておきたいと思います。確認できましたか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 九月二十二日の記録が届きました。その中で、当時、募集要項とそれからメルカード書簡、具体的にはメルカード書簡の合意内容、どちらが先であるかという観点から議論がございました。 そこで、ちょっと長いんですけれども、政府側の方からちょっと読ませていただきます。 陳述書によると、あなたは後先になったということが日本政府がだましたということを考えるようになった一つの原因ですよと。もう一つは、三百タレアと募集要項には書いてあったけど、三百タレアまでと実際なっていたと、この二つが原因だというふうに言っているんですよね。それは覚えていますか。これで、答えがはい。第一点目の後先のことをとらえて聞いているんですけれども。後先になったとしても、それは別にその後で募集どおりの基本合意だったとすれば問題ないんじゃないんですか。もし内容が違えばまた問題ですけれども。ここは政府側でございます。 原告側は、それはいかがなものでしょうか。それは、そういった日本政府のずさんなやり方ということが、実際そのときの、その後の我々との交渉、あるいは土地の配分、かんがい水の施設等にもずっとつながってくるわけですから。それは、結果が同じであればどちらが先でもよかったんじゃないのかというのはいかがなものでしょうかという記録がございます。 ○尾辻秀久君 ですから、後先どうでもいいじゃないかと言っているじゃないですか。言ったということを確認しますか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 政府側の方が、第一点目の後先のことをとらえて聞いているんですけれども、後先になったとしても、それは別にその後で募集要項どおりの基本合意だったとすれば問題ないんじゃないですか、もし内容が違えばまた問題ですけれどもという質問をいたしました。これに対して原告側の答えが、先ほど申し上げたところでもございますが、最後に原告側の答えとして、結果が同じであればどちらが先でもよかったんじゃないのかというのはいかがなものでしょうかと、こういうふうに記録がなっております。 ○尾辻秀久君 だから、問題ないでしょうと言ったんですよ。そこが問題でしょうと指摘されたら、問題じゃないんじゃないですかって、これ一回だけじゃないんですよ、その前も言っているんですよ。二回言っていますよ。分かっているでしょう。 だから、これは仕切り直しでやりますよ、もう二分しかないから。 ただ、状況だけを説明しておくと、さっきの二十七日の話なんですよ。二十七日に合意ができていないのを合意ができたできたってなぜ言っているかというと、二十九日に募集を始めたからなんですよ。三月の二十九日に募集を始めてしまったんですよ。そして、もっと言うと、四月の二十日に募集締切りやったんですよ。こんなむちゃな話がありますか。三月二十九日、しかも、さっきの募集要領を海協連に渡したんですよ。それから海協連は募集要項に直して各都道府県に行って募集をしてなんてとてつもない作業をしたはずなのに、なぜか四月の二十日で締め切っちゃった。だから、もうつじつまが合わないから、三月の二十七日に基本合意ができたと言わないともうどうしようもないから苦し紛れのさっきの説明をするんですよ。あれ間違いなんです、明らかに。 そこで言われているのは、そんなに募集を始めたときにまだちゃんと約束できていなかったでしょうって、そこを責め立てられて、後先どっちでもいいじゃないですか、その募集したときに言ったことと後で基本合意で約束したことが一緒だったんだからいいじゃないですかと言っているんですよ。これは明らかにおかしい。 それで、もう一つ言わせていただくと、自分で二回も言った人間が後ろに座っていて忘れるはずないですよ。こんな動かぬ証拠を突き付けられるまでに、言ったって言わないなんというのは。こんなひきょうな話はない。 これは仕切り直しでやります。 ○委員長(片山虎之助君) 以上で尾辻秀久君の質疑は終了いたしました。(拍手)
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