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○委員長(山本一太君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。 これより質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。 ○尾辻秀久君 まず、JICAの問題から片付けましょう。 今日、理事長に出席をお願いしましたけれども、御出席でありません。理由を教えてください。 ○参考人(畠中篤君) JICAの理事長の出席要求をいただきましたが、本日はどうしてもよんどころない事情で出席することができなくなりました。大変申し訳なく思っております。 ○尾辻秀久君 お差し支えなかったら、よんどころない事情をお教えください。 なぜ私がこだわるかというと、先日、予算委員会でも出席をお願いいたしました。海外にお出掛けだということでおいでになりませんでした。今日で二回目であります。したがって、こだわります。どうぞ。 ○参考人(畠中篤君) 前回お呼びいただきましたときには、お話しのとおり、海外出張中でございました。今回は、出張から戻ってまいりました直後でございますけれども、ちょっと事情がございまして、ちょうど体調を崩しておりまして、ちょっと病院の方に行かざるを得ないということでございます。御了承いただきたいと思います。 ○尾辻秀久君 今、理事長はどのぐらいの頻度で海外にお出掛けになりますか。 ○参考人(畠中篤君) これまで、最近の例で申し上げますと、三月に一度出張をいたしました。それから、四月に今予定されておりますのは二回ほど出張する予定がございます。そのほかに、五月、六月に一回ないし二回出張することが今検討されております。 ○尾辻秀久君 海外には月に二回お出掛けになるけれども、国会には出てこない、こういうことですね。 ○参考人(畠中篤君) 大変申し訳ございません。そういう趣旨ではございませんで、先回御要求をいただきましたときに既に海外に出ておりましたので、そういうことで御了承をいただいた経緯がございます。 ○尾辻秀久君 そのことを言っているんじゃないんです。今日おいでにならなかったことを聞いているんです。 これ以上はもう言いませんが、皆さんもお聞きのとおりでありますから、国会をこういうふうに軽視されても困ります。 改めて、委員長、参考人として呼んでいただきますようにお願いをいたします。 ○委員長(山本一太君) ただいまの件につきましては、追って理事会においてその取り計らいを協議したいと存じます。 ○尾辻秀久君 したがって、今日はJICAへの質問はいたしません。ただ、どうぞ、JICAへの質問につながる議論でありますから、議論だけは聞いて帰ってください。 改めまして、予算委員会に引き続いてドミニカ移民問題について外務省の責任をただします。 当委員会での質問は初めてでございますので、この問題での質問は初めてでございますので、ドミニカ移民といいましても御存じない先生方もおありかと思いまして、お手元に新聞のコピーをお配りしてございます。ごらんいただければ有り難いです。 まず、移住部長に聞きます。 先日の予算委員会での私への答弁をもう一度よくチェックしてください、こういうふうに言いました。大きな虚偽の答弁があったことにお気付きですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 先回、ドミニカ移住問題について予算委員会で御答弁いたしました。そのときには、まず当時の移住政策の位置付け、例えばこれが国策であったか否か、こういうような議論から始まったと存じております。 ○尾辻秀久君 時間がないんで、余計なことは答えないで結構です。 虚偽答弁があったことに気付きましたか、気付きませんでしたかと聞いたんです。答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 虚偽答弁というもの、申し訳ございません、今どの点についてお尋ねなのかノノ。 ○尾辻秀久君 それでは、私から指摘をいたしましょう。 最終案文までありながら移住協定をなぜ結ばなかったんですかと聞きました。あなたは何と答えたかというと、当初のドミニカの事情。それは何だと聞いたら、当時、移住を非常に積極的に推進したトルヒーリョ大統領も暗殺された、そういう事情でございますと、こう答えました。 じゃ、移住協定を結ばずに移住を始めたのは何年ですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 一九五六年でございます。 ○尾辻秀久君 昭和三十一年ですね。 トルヒーリョ大統領の暗殺、何年ですか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 一九六一年、昭和三十六年でございます。 ○尾辻秀久君 あなたは五年後のことを理由にしたんですよ。こんなのふざけた答弁と言わずに何と言うんですか。まさしく虚偽ですよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 先生よく御承知のとおり、ドミニカについては移住協定についての交渉が行われまして、また移住協定の案というものもできました。しかし、最終的に移住協定が結ばれなかった背景には、その後ドミニカのいろいろな状況があって、結局、移住協定の締結には至りませんでした。 また、当時いろいろな国、例えばブラジルであるとかボリビアであるとか移民が行われておりましたけれども、そういうような国、ボリビア、失礼いたします、ブラジル等移民が行われておりましたけれども、そういう国々との間におきましてもまず移住は行われました。 ○尾辻秀久君 さっきから言っているように、余計なことを答えなくて結構です。 あなたは、この前の私の答弁で、なぜ移住協定を結ばなかったのと聞いたら、トルヒーリョ大統領が暗殺されたからですとちゃんと答えているじゃない。議事録にありますよ。それ認めますか、認めませんか。それから答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) そういう御答弁をしたことはそのとおりでございます。 ○尾辻秀久君 五年の差があるんですよ。ここでなぜそうなったと言ったら五年後の話をして、これが理由ですと。世の中そんなことが通りますか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時、ドミニカにつきましては、今先生御指摘のとおり、移住協定についても交渉が行われ、話合いが行われ、案文もできたことは事実でございます。 ○尾辻秀久君 だから、案文ができたことなんか知っているから、こっちから言っているから、そんなこと繰り返さなくていいですよ。 五年後のことを何で理由にしたのと聞いているんだから、それ答えてくださいよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時、ドミニカとのその交渉に当たるに当たってドミニカ政府と話合いを進めたわけでございますけれども、ドミニカ側におけるいろいろな状況が変わったということで結局協定は結ばれませんでした。その変わった背景の一つとして大統領の暗殺をも述べた次第でございます。 ○尾辻秀久君 だから、その大統領の暗殺は五年後だって言っているじゃない。五年前のことと何の五年後のことが関係があるの。あなたはそれを絡めて答えたんだよ。そんないい加減なこと言わぬでくださいよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時の日本政府の考え方と申しますのは、ドミニカ移住については、先生御指摘のとおり昭和三十一年に開始いたしました。その時点ではまだドミニカとの移住協定はございませんでした。しかし、日本政府としては、一定の実績を積み上げつつドミニカ政府と交渉して移住協定を結ぶと、こういう方針でございました。そして、先ほど先生が御指摘のとおり、案文も作ったわけでございます。 ○尾辻秀久君 もうここで引っ掛かり出したら、これで全部時間使いますよ、もう。本当にそんなばかばかしい話はない。皆さんも聞いてくださいよ。五年後に起こったことを理由にして、ここで駄目でしたって、そんなのは通る説明じゃないということをもう自ら悟ってくださいよ。そして、あなた方はもういつもこの繰り返しなんだ。何を聞いてもこれ言うんですよ。 じゃ、次の質問に行きますよ。いいですよ、もう、今も一つうそ言ったというのがばれたんだから。次またどうせうそ言うんですから、聞いておいてください、皆さん。 長い間逃げ回ってきたけれども、先日、ついに国策移民であったことは認めましたよね。これは認めた。認めましたね。 ○政府参考人(鹿取克章君) 当時、戦後の移住政策が外交政策の重要な柱であるという意味において、それが国策であったと表現されたことを御説明申し上げました。 ○尾辻秀久君 国策だと言った途端に都合が悪くなるものだから、今まで国策だとは死んでも言わぬぐらいで言ってこなかった。しかし、どんどんばれてきた。 もう一杯あり過ぎるから、今日も一つだけ御紹介しておきますよ。 昭和三十年三月二十一日、外務省移住参事官、移民を国策として確立しなければならない、高らかにうたい上げていますよ。言っておるんですね。だから、これはもうあなた方も逃げようがないから認めた。ところが、今度は何と言い訳するか、重要な外交政策という意味で。 じゃ、改めて聞きますよ。外務省にとって重要な外交政策というのはどんな位置付けになりますか。外務省にとって一番大事な仕事じゃありませんか、外交政策というのは。違いますか。それを答えてくださいよ。 ○委員長(山本一太君) どなたに御答弁。 ○政府参考人(鹿取克章君) 重要な外交政策と申し上げましたけれども、例えば、昭和三十六年、あるいはその当時の外交青書を例えば見ましても、当時、戦後、海外移住ということで非常に大きな比重が置かれておりました。それを踏まえて、私、先般の委員会で重要な外交政策と申し上げた次第でございます。 ○尾辻秀久君 またここで止まっていてもしようがないから行きますけれども、重要な外交政策と外務省が言ったんでしょう。それは一番大事な仕事としてやりましたということを取りも直さず言ったんですよ。それで、変なもう言い訳しないでくださいよ。 関連してもう一つ聞いておきますよ。 昭和三十七年三月、決算委員会であなた方は何と答えているか。「これからの移住の推進の仕事は、役所の行政よりも、むしろ行政はできるだけ簡素にして、海外移住の実務機関である海外協会連合会に仕事の重点を置いていくということが、一番実際的ではないかと思います。」、こう答えていますね、昭和三十七年に。 ということは、昭和三十七年以前は行政が主体的に実務をやってきたということをここで言っているわけですよ、裏返せば。そうですよね。違いますか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 戦後の移住政策につきましては、外務省が主務官庁としていろいろ携わってきたということは御指摘のとおりでございます。 ○副大臣(阿部正俊君) 委員長。 ○尾辻秀久君 いや、あの、副大臣答えないでください。いいですから。仲間内が出てこられると矛先鈍るので、申し訳ないけれども最後にお願いしますから、よろしくお願いします。 まあここでも止まらないけれどもね。あなたが言っていることは、もう何聞いてもめちゃくちゃなんですよ。実務としてやっているということはここでちゃんと認めているじゃないですか。それで、その実務をできるだけ海外協会連合会に移そうと、こう言っているんだから。実務やってきたということで、実務までやっているということをあなた方は認めておるんです。そこも言っておきます。 それから、もうあなた方が言うことで私にさっぱり分からぬことが一つある。それは何か。あっせんしただけだから国に責任がないと、こう、もう繰り返し繰り返し言う。あっせんというのはそんな責任のないことなんですか。私は、国があっせんしたから責任があると思うんですよ。移住部長、どう思います。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今先生御指摘のとおり、海外移住については外務省があっせんを行ってきました。そういう意味で、政府として移住政策にかかわっていたことは事実でございます。また、移住者の方々が志を遂げることができず帰国に至ったこと等については、従来から外務省としても責任を感じているということを申し上げております。 なお、先生よく御承知のとおり、法的な問題については今裁判で議論されておりますので、その問題については裁判で引き続き議論されることと思いますけれども、従来から外務省としても責任を認めているということは申し上げております。 ○尾辻秀久君 責任は認めたんですね。認めていますね。これ確認しますよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 移住者の方々が所期の目的を達成しなかった、そういうことについて責任を認めたということは申し上げております。 ○尾辻秀久君 責任を認めるときにごちょごちょ言っちゃいけないんですよ。本当にごめんなさいと言った方が分かりがいい。余計なこと言う必要ないと私は思います。しかし、これがまた外務省のやり口なんです。 次に、また聞いておきましょう。 この前の質問で、あなた方は、募集要領は国が作りました、で、募集要項は海協連が作ったんですと、こう言いましたね。要領は国が作った、要項は海協連。そして、要項を作ったのが、この要項で募集をしたから、あなた方の逃げ口上で、海協連が作った要項なんであって我々には責任がありませんと、こう言ってきましたよね。 そこで、この前、私は質問をした。要領と要項、どこが違いがあるかといったら、全く同じですと答えましたよね。要領と要項、この前、川内先生が衆議院で一字一句違わないかって聞いたら、まあ、あなたなんかも答えるもので、写し間違いがありますから字がちょっと違っていますなんてばかな答弁していたけれども。そんなのはどうでもいい話で、要するに、ああいうのは日本語では普通一字一句同じという話なんですよ。写し間違いがありますなんというのは、そんなのはもうどうでもいいことなんだ。要するに同じものなんですよ。 それじゃ、要項が要領と同じものだったら、要領を作ったあなた方に責任があるわけじゃないですか。もうここのところもあなた方の言うことは分からぬ。答えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今先生が御指摘のとおり、政府の作った要領と海協連が作った要項は、内容は同じものでございます。また、その要項に含まれている、あるいは要領に含まれている情報というのは、政府が地元で収集したり、あるいはドミニカ政府に聞いたり、調査したり、そういう情報も含まれておりますし、もしもその情報についての責任ということであれば、その情報を収集したそれぞれ、例えば外務省が収集した情報であれば、それはその情報については外務省が責任を持つべきだと考えております。 ○尾辻秀久君 違うんですよ。あなた方はそうは言っていないんだよ。これまた、平成十年十月、外務委員会、衆議院ですけれども、何と答えているか。「募集要項、その表現につきましては、日本政府が直接書いたものではないという意味においては、仮に誤解が生じたとすれば、その日本政府の伝達した情報が募集要項に書かれた際に不十分な解釈が行われたと考えます。」なんて、こんなことをしゃあしゃあと言っているんですよ。 じゃ、同じものなのにどうやって不十分な解釈が起こり得るんですか。説明してくださいよ。 ○政府参考人(鹿取克章君) 先般、尾辻先生からその答弁について御指摘があって、私もその表現について、もしも誤解を招く点があったらそれは申し訳ないと申し上げた次第でございますが、当時の答弁を考えますに、制度としては、政府が作る募集要領というものがありまして、また海協連が作る募集要項というものがございます。海協連は、その政府の募集要領に基づいて募集要項を作ります。そういう仕組みを念頭に発言したのではないかと私は思っておりますけれども、先生御指摘のとおり、募集要領と募集要項は内容は同じものでございます。 ○尾辻秀久君 だから、この答弁は明らかにごまかした答弁じゃないですか。うそ言っていますよ、ここでも。 しかも、今のあなたのその言い方なら、これは募集要項を外務省が指示して作らせたという資料は一杯ありますよ。今日はそこまであなたが言うとは思わないから持ってこなかったけれども。皆さんにしつこいと言われるだろうけれども、また出てきて私やりますよ、今のあなたのその答弁じゃ納得できないから。募集要項そのものも外務省が作らしていますよ。作らしたという証拠は幾らでも出せる。 それじゃ、次に行きますよ。この前、あなたは答弁で、あなた方の事情で三月二十七日にどうしても交換公文が固まっていなきゃいけないんですよね。なぜかというと、三月二十九日に募集を始めちゃったから。三月二十九日に募集を始めたから、その二日前の三月二十七日にどうしても交換公文が固まっていなきゃ都合が悪い。だから、固まった、固まったと言うんだけれども、これはこの前の質問で確認しましたよね。「本書簡に対する返簡との交換によって確定される」と書いてある。だから、確定されるとは書いていない。その「書簡に対する返簡との交換によって確定される」と書いてあって、その返簡を出したのが四月二十四日であるということもあなたは認めた、この前。これでもまだ三月二十七日に確定されたと言いますか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 先生御指摘のとおり、日本政府が返簡を出したのは四月二十四日でございます。ただ、当時その段階で私が御説明したのは、三月二十七日の書簡で、日本側として日本側の関心事項については固まっていましたと。それに基づいて日本側は募集を、募集要項を作り募集を開始いたしました。それはなぜかといえば、その三月二十七日の書簡に至るまでにドミニカ政府と様々な協議があって、三月二十七日にドミニカ政府から書簡を入手したときにはおおむね日本政府として考慮していた点が合意されていて、固まっていたからでございます。 ○尾辻秀久君 あなた方はそういういい加減な外交をいつもしているんですか。交換公文でこれ、こっちから返簡して確定しますよって向こうが言ってきているのを、そしてその手紙出したのが四月二十四日だって認めていて、その前に確定されましたなんて、そんな外交をしているから北朝鮮になめられるんですよ。 もうだんだん頭にきたから、もう言わずに済まそうと思ったことまで言いますよ。この前も言った、アルベルト・E・デスベラデルという人、ドミニカのキャリア外交官ですよ。日本の駐日大使を五年もした人。この人が何と言っているか、この辺のいきさつを。日本国側が急速に事を、事を進める、進める余り、移民の送り出しと入植のペースがうまく合っていなかったのは明らかであった。日本政府官僚はその場限りの対応で過失を犯してしまった。日本外交政策の悔やまれる過ちであり、国家主権間外交術を知る者にとっては理解、理解し難いことである。ここまで言われているんですよ。この前も言いましたけれども、もう日本外務省、本当に恥知ってください。 それから、これは私への質問の答弁じゃないんだけれども、今日も来ていただいている衆議院の川内先生への答弁で何とあなたは答えているか。政府の調査がずさんだとは考えておりません、政府の調査がずさんだったとは考えておりませんと答えていますよ。あなたは本当にそう思っていますか、もう一回聞く。 ○政府参考人(鹿取克章君) この点については、訴訟においてもいろいろ問題が提起されたところでございますが、我々、準備書面においても、政府の調査がずさんであったとは考えていないと、こういう趣旨で議論しております。 ○尾辻秀久君 それでそのとき、中田技官の調査もありますと言っていますよ。もうこの辺から私も座っておるわけいかぬから、立ちます。 このあなたがこの調査もありますと言った中田さんが何と書いているか。この本物はこんなぼろぼろのがあるんですけれどもね。コピーした方で読みますよ、この中田さんが何と言っているか。当時私が政府の役人という立場でネイバを調査に行きましたが、本当を申しますと、私が調査に出る二か月前に既に貴殿方の入植が決まっておりましたので、こんなのをずさんと言わずに何と言うんですか。そんな先入観、つまり、そんな気持ちで調査をいたしましたので、その当時のことを聞かれましても調査を十分にやったと私も言えません。大変気の毒なことであって、謝っても申し訳ありませんと、ここまで言っているんですよ。私も大それたことをやったものですと本人が言っているんだ。あなたはこれで十分な調査をしたという根拠にしているんですよ。 移住部長、もう一回聞く。あなたの良心で答えてほしい。本当に十分な調査が行われていたか。 ○政府参考人(鹿取克章君) この調査の問題については、今先生が御指摘のとおり、大きな議論の対象にこれまでもなっておりまして、昭和三十七年、例えば国会では中田技官も自ら答弁に立っております。そのときにもいろいろ経緯がございました。 私どもとしては、裁判所の準備書面に書いてあります、裁判所の準備書面においても主張しておりますとおり、この調査がずさんであったとは考えておりません。 ○委員長(山本一太君) 尾辻委員に申し上げます。外交防衛委員会は着席のまま質問することがルールになっておりますので、そのまま御質問をお願いしたいと思います。 ○尾辻秀久君 分かりました。 立ち上がらずにおれないような答弁しないでください。 更に聞きます。それじゃ聞きますよ。この前あなたに読んでもらったくだりがある。これは池田支部長の報告。当時のドミニカの池田支部長の報告。何と報告しているか。小職、先年視察したブラジル、パラグアイ、ボリビア、アルゼンチンなどの日本人移住地や青森、岩手、山梨、宮崎各県下の戦後の開拓地などと比較して、諸種の悪条件がこれほど重なっている移住地はほかにちょっと思い当たらぬぐらいであって、同行の飯島事務官も同様の所感を述べられていた。もちろん、同行の移住者たちに対してはかかる所感は述べなかったが、内心彼らもよく今日まで頑張ったものであると感じざるを得なかった。ネイバのあるバルコ県はドミニカの小学校用地図にも明記されているごとく、年間雨量五百ミリ以下でドミニカにおける最高の乾燥地帯である。 こんなところに、あなたではないけれども、あなたの先輩たちは同胞を送ったんですよ。そして、はっきり言わせてもらうけれども、見殺しにしたんですよ。 もう一回、移住部長としてのあなたには聞かない。鹿取さん、あなたに聞く。あなたの良心で、の呵責はありませんか。 ○政府参考人(鹿取克章君) 私もこのときの状況を、今先生がお読みになりましたものを読みまして、また昭和三十七年当時の国会の記録なども振り返ってみました。 私としては、準備書面で述べておりますとおり、政府の調査についてはずさんではなかったと考えております。 ○尾辻秀久君 つくづく宮仕えは悲しいものだと思います。 宮仕えでない方の方に聞きます。大臣に聞きます。この前いろいろ御答弁いただいた。気になるところを二点だけ聞きます。 大臣、何と言ったか。非常に現地に行かれて成功していらっしゃる方もいらっしゃいますと、こう言っておられます。例を挙げてください。 ○国務大臣(川口順子君) その発言を私がいたしましたときに幾つかのことが頭にありました。阿部副大臣に御出張に行っていただいてその御報告を私が聞きましたときに、阿部副大臣がメヒーア大統領に表敬をなさった。そのときに先方からお話があった中で、在ドミニカの日系人社会、これが非常に活躍をしているということについての評価があったという御報告をいただいています。 それから、同じようなことを私は今から一年半ぐらい前に、ドミニカの外務大臣が日本にお見えになられたときにお目に掛からせていただいて、そのときも幾つかの土地の問題等についてお話をさせていただきましたが、そのときにもそのドミニカの外務大臣から、日本の移住者はドミニカ共和国社会を尊重して、またドミニカの社会から尊敬をされる存在である、そして有益な貢献をしていると、そういう評価をしていただいたわけです。 移住先の国の大統領、そして移住先の国の外務大臣からそういう高い評価をしていただける日系人社会というのは私はすばらしいと思いました。それで、そういう評価をしていただけること自体成功をしているということであると私は評価をいたしております。もちろん、あのときに申し上げましたように、その中には全員がそういうことではないであろうということも、これも副大臣から御報告をいただいているわけです。 それから、あの答弁のときにも私申し上げたと思いますけれども、そういう成功をなさった方もそうでない方も、それは大変な苦労をなさった。それから、志を抱いて行かれてそういうことにならなかった方もいらっしゃるわけで、それはお気の毒であるとあのときも申しましたけれども、お気の毒であるとしか申し上げようがないということであるわけです。それから、その方々がドミニカの異国において厳しい環境の中で正に御自分の努力を積み重ねられてそういう社会の中で地位に立たれた、そういうことも私は十分に認識をしているつもりです。 そういったことが頭にあって、成功なさった方もいらっしゃった、また不幸にしてそうでない方もいらっしゃった、そしてそれらについて、後は繰り返しませんけれども、そういうことを申し上げたということでございます。 ○尾辻秀久君 外務省の答弁というのは、ずっと聞いていて、非常にずるいんです。 いろんなずるさがあるんだけれども、今の答弁もそのずるさの一つなんです。なぜかというと、都合が悪くなると裁判の争点だからといって裁判のせいにして逃げる。私が、そうじゃない、裁判の話じゃないといって質問しても、いや、裁判ですからと逃げる。 今の話も正にそうで、もしあなた方が言うように裁判の争点にするのであれば、その成功したという人たちが入植した地で頑張られて、そこで成功したというんならそれはいいんです。今の裁判の争点、そうじゃないでしょう。あなた方が何の責任も果たさずに流浪の民になったということで争われている。その流浪の民が必死になって、正にあなた方にどん底に突き落とされて、そのどん底からはい上がってきて、頑張って、やっと成功した人たちのそれをとらえて結果としていいだろうと言ったら、それは裁判の話とは別じゃないですか。 ですから、改めて聞きますよ、あなた方が裁判裁判と言うから。本当に入植地に残って成功した人が一人でもいるんなら教えてくださいと聞いているんです。大臣、答えてください。 ○国務大臣(川口順子君) 私の申し上げようであるいは誤解をいただいているようなことになっているのかもしれないと今思いながら伺っておりましたけれども、私が申し上げたのは、成功している人がいらっしゃる、すばらしいことだと思いますが、あるいはそうならなかった方もいらっしゃる、それ が裁判の争点であるということを申し上げたわけでは全くないわけです。 ○尾辻秀久君 ですから、いいですよ、ごしゃごしゃ言わなくても。入植した土地で最後まで頑張られて成功した人の例を言ってくださいと聞いているんです。一人でもありますか。言ってください。 ○副大臣(阿部正俊君) 私が大臣に御報告申し上げたのは、率直に申し上げまして、農業といいましょうか、入植の当初の目的に沿って大成功と、大きな成功を収められた方というのはまあ非常に、まあまずないだろうなという感じはいたしました。むしろ、これは国内でもどこでも同じようなところはありますけれども、開拓地ということになりますと、ということですけれども、それはやっぱり相当違った形でのその後の、数年、数十年たっていますし、いろんなほかの分野に進まれたりして大活躍されている方々もおられるなという、そんな印象を大臣に率直に申し上げたところでございます。 ○尾辻秀久君 そう答えてもらえばみんな納得しますよ。 そのとおりなんですよ。あなた方が送り込んだ入植地じゃだれも食えなかったんですよ。みんな流浪の民になったんです。それで、町の中に、言葉は悪いかもしれぬけれども、浮浪者みたいにして行っちゃったんですよ。それで、一浮浪者から頑張ってたたき上げてきたんです。それは、あなた方がカリブの楽園といううたい文句で募集したから、本当に今行って話をすると優秀な皆さんだったというのが分かりますよ、すさまじい競争率の中から送られた人だから。あのころ、カリブの楽園といううたい文句で募集すりゃ、それは殺到したんですよ。 そういう優秀な人たちが送り込まれたから流浪の民になったけれどもはい上がったんですよ。それを、成功した人もいるからいいでしょうと言われたら、それはたまらぬ。そのセリフだけはやめてほしい。それは、ここにも関係の皆さんおられるけれども、怒り心頭に発しられるから、もういい。○○大臣、黙ってください。もういい。聞いたら、なお腹立つ。 それで、もう一つ大臣の発言で気になるところを言っておきますよ。何と言っているか。同じ移住者同士がけんかになって、表現はちょっと違うけれども、悲しいことですと。仲良くやっていけるように現地の大使も今一生懸命にやっておりますと答えていますよね。 何やってんのか答えてください。 ○国務大臣(川口順子君) 私が理解をいたしておりますのは、これは大使としてその日系人社会の融合が大事であるという観点で、例えばその日系人社会を対象にしたいろいろな催し事、新年会ですとか、新年会兼成人式ですね、あとは敬老会、そういったものを主催をするというふうにしているということと、日系団体が主催をしている、盆踊りですとかスポーツの会合があるということのようですけれども、そういった行事に積極的に参加をするというふうに心掛けているということを聞いておりまして、私はこの大使の日系人社会とのかかわり合いというのは、これはほかのどこの国でもそうですが、非常に重要であると思っていまして、引き続き、特に先ほど、この前の予算委員会で私が申し上げたという問題意識をずっと阿部副大臣から報告も聞いて持っております。 したがいまして、それについて、大使としてもっとやるべきことを引き続きやっていくようにと、まだ私はそれが十分になされているというふうには思っておりませんけれども、それを引き続きやるようにという指示も出しております。この間、予算委員会で申し上げた幾つかのことというのは、そういう問題意識を申し上げたわけです。 ○尾辻秀久君 私も大臣にある面は同情するんです。ただ、現地に行っておられないことは残念だと思います。是非行ってくださいよとお勧めしたけれども、行っておられない。だからそんな答弁になるんです。どうせ十分聞いておられない。事務方が上げるものだけでお読みになるからそうなるんだろうなと。そこの部分には同情します。 しかし、今の大臣の御答弁というのは、これはもう事実と全く実は違うんです。これは、更にまたしつこいと言われるだろうけれども、それが事実とどう違うかというのは今後やっていきます。これがJICAにもかかわり合うし、草の根無償援助にもかかわり合うんです。大使館が意図的に二つに分けたんです。全く事実が違う。 まあ今日はそこまでに止めておきます。ここまで言い切ったんですから、ちゃんとどこかの委員会でそのことを私はきっちり証明をいたします。 それでは、余り時間がなくなったんで、前に国会決議がありました。私が国会決議と言えばお分かりでしょう。どういう決議かというと、これ、国会決議ですよ。ちゃんと改めて自分たちも聞いてください。 事前調査が不十分であった等のため、引き揚げ等のやむなきに至ったものと考えられるので、これら帰国者に対する援護、更生等に十分の措置を講じて、早急に再起をはかるようするとともに、今後、このような事態が再び繰り返されないよう、その防止に努力すべきである。 衆議院の決算委員会の決議です。どういう対応をされたか教えてください。 ○政府参考人(鹿取克章君) 今御指摘の決議は昭和三十七年三月三日の決議であると承知しておりますが、その点に、その四点目につきましては、政府は集団帰国者に対する一連の支援を実施いたしました。まず、これはその段階でも既に実施しておりましたし、更に継続いたしました。それは、例えば帰国される方については帰国旅費の支給、あるいは帰国された方については関係省庁、農林省、建設省、労働省、厚生省、大蔵省等において支援を実施いたしました。その支援の中には、住宅の優先的あっせんであるとか、生活補助金の支給であるとか、また雇用のあっせん、そういう支援を実施いたしました。 ○尾辻秀久君 もう具体的に聞くと腹立つから今日はここでやめておきますけれども、あなた方が本当に何かをしましたか。よく恥ずかしくもなく言えるよという答弁を今あなたはしたんです。 最後に聞きます。阿部副大臣、現地にお行きになりました。そして、自分も農家の息子に生まれたから、随分言葉を選ばれたんだろうと思います、お立場上。しかし、はっきりと、とても実がたわわになるような土地ではなかったというふうに言っていただきました。その辺の率直な御感想を最後にお述べをいただきたいと思います。 ○副大臣(阿部正俊君) 御指摘いただきましてありがとうございます。 私自身、大臣ともお話をした上で、昨年十二月にドミニカにお邪魔をいたしました。私の気持ちとしては、訴訟にもなっておるということではございますけれども、あらかじめ予断を持たずに、言わば白紙の状態で皆さん方にお目に掛かりたいというふうなことで、土地を見て、そんな思いでお邪魔いたしました。 そのときに、七か所の移住地があるわけでございますけれども、原則、七か所全部回らせていただきました。ただ、残念ながら最後の土地だけちょっと気候条件が悪くて、空港までおいでいただいてお話を伺ったという形でございますが、全部回らせていただきました。 それで、移住者の方とできるだけの時間、わずかでございますけれども、懇談をさせていただきました。そんな中で、率直な、これは印象というふうに言った方がいいかもしれませんけれども、やはり大変御苦労されたなというふうなことを率直に感じました。と同時に、あと、土地の問題等につきましても、ダハボンであり、ほかの土地にも、何というんでしょうか、相当やはり、黙っていてもたくさん実がなる土地ではないなという感じは、率直に申し上げまして、言わばある種の開拓地でございますので、他のところにも似たようなところがあるのかもしれませんけれども、相当しんどい土地だなと、相当やっぱり開拓という困難な行為を続けないといい土地にはならぬという土地ではないのかなと、そんなイメージを持ったのも事実でございます。 したがって、現に、先ほど言いましたように、七か所のうちでもうだれも残っていない開拓予定地が数か所あるわけでございまして、大半の方々が首都に今移住されて、そこで他の仕事になったりしている方もおられるわけでございますので、当初の予定した、あるいは一部マスコミ等で出ていました、先生のお配りの中にもありましょうか、カリブの楽園というふうな意味での表現から想定されたような状況からすると、相当やはり皆さん方は違ったイメージを持たれたんじゃないのかなと、こういうふうに思いました。 そのことで、せんだっては官房長官と総理大臣にもお目に掛かりまして、それは、法的な問題については裁判所に判断をゆだねざるを得ないと思うけれども、それとは別途といいましょうか、それはそれとしてといいましょうかね、何か友好に、日ドの関係の友好といいましょうか、と同時に、日系人社会のより一層の、何というんでしょうか、発展といいましょうか、みんなの結束と、あれのためにやれること何かないだろうかということを別途考えてみたらどうかというふうな話を、総理並びに官房長官の御示唆もいただいたところでございます。 以上でございます。 ○尾辻秀久君 終わります。
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