日本国尾辻 秀久|おつじ ひでひさ|
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尾辻秀久

■戦没者遺族

平成26年 パプアニューギニア慰霊訪問


 あとひと月致しますと、69回目の終戦の日を迎えます。
光陰矢の如し。
戦争は、遠い昔のこととなりつつあります。

 皆さまは、「パプアニューギニア」と聞いて、何を連想されますか。
 若い方は、美しい海、常夏の国のイメージでしょうか。
戦争が終結して69年、まさにそのとおりの土地であります。しかし、69年前、その美しい島は凄惨を極めた戦地でありました。
 
 本年7月11日、安倍晋三内閣総理大臣ならびに昭恵夫人が、パプアニューギニアのウェワクに建立されております慰霊碑を訪れ、献花、黙とうをなさいました。現職総理としては、戦後初のことであります。日本遺族会会長として、私も現地で総理ご一行をお出迎えしました。
 その際のパプアニューギニアの皆さまの歓迎ぶりは、ご夫妻それぞれにFacebook等にて感想を書いておられますが、昭恵夫人の「ウエワク中の人が出てきたのではないかと思われるほど、沿道が人で埋め尽くされ・・・」という表現が、まさにぴったりであります。このときに、昭恵夫人の素直なお人柄が現れたひとつの出来事がありました。

 ウェワクにおいて、総理ご夫妻と日本遺族会からの出席者との懇談の機会がありました。席上、日本陸軍第18軍参謀としてニューギニア戦線におられた堀江正夫元参議院議員(NHK『戦争アーカイブス』にて、当時のご経験について、ご本人が詳しくお話になっておられる映像をご覧いただけます。)が、エピソードを語られました。
 
 堀江氏は、いまなおパプアニューギニアに遺る戦友たちの遺骨を一柱でも多く祖国へ帰すことが自分の使命であるとされ、御年99歳になられる現在まで遺骨収集をなさっておられます。その堀江氏をはじめ日本の遺骨収集団が、戦後入国した折、パプアニューギニア政府は、ラジオ放送を通じて、全国民に対し、日本人の遺骨収集に協力するよう指示を出してくれたそうです。
 そしてその折、堀江氏が、ニューギニア戦線において近しく諸事雑用をこなしてくれた現地の若者と、再会を果たされ、「パプアニューギニアが、オーストラリアの人々によって、こんなに整備されてよかった」と声を掛けましたところ、その男性は「オーストラリア人はFriendであるが、日本人はBrotherである」と返したそうです。堀江氏が、「パプアニューギニアを熾烈な戦地にし、迷惑を掛けた我々が兄弟で、その後、整備してくれたオーストラリア人が友人というのでは、あべこべではないか?」と、驚きますと、その男性は「あの頃、日本人は寝食を共にしてくれた。一緒に寝て、同じ物を食べたのであるから、兄弟である」と言ったそうであります。
 堀江氏は、このパプアニューギニア人の好意を、亡き戦友たちが後世の私たち日本人に残してくれた大きな財産であると考えているということを云われました。

 皆、じっと、そのお話を静かに聞いておりまして、私も大変感銘を受けておりました。ふと、視線をうつしましたところ、昭恵夫人が静かにぽろぽろと大粒の涙をこぼしておられました。

 今日の日本の繁栄は、国のために命を懸け、散っていった方々の犠牲の上にあるものです。戦争が遠い昔のこととなったのは、69年間、平和を守り続けてきた、不断の努力によるものであります。
 そして、どれだけ長い時間が経過しても、戦争で友人を、親を、兄弟姉妹を、子を亡くした者の悲しみが癒えることはありません。私たちにとって、先の大戦が歴史上の出来事となる日は来ないのです。
 
 総理は、この慰霊から戻られて「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。アジア、世界の友人と世界平和の実現を考える国でありたいとご英霊の前で誓った」とコメントされています。 夫人のあの純粋な涙を思い起こし、このコメントが実現されることを切に願っています。

尾辻秀久

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