日本国尾辻 秀久|おつじ ひでひさ|
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尾辻秀久

■白石康次郎氏との対談(週報『自由民主』「Face to Face」より)

今に生きる、世界77カ国での放浪の旅 尾辻秀久
若者よ、自分のすべてを注ぎ込む体験をしよう! 白石康次郎

冒険!あの時、そして今
四十年前、車一台で日本を出奔した若者がいた。なんと五年間にわたって、世界七十七カ国を巡り歩いた参院議員の尾辻秀久さんが、その人。世界で最も過酷な戦いと言われる、単独ヨット世界一周に三回チャレンジし、史上最年少の参戦と二位入賞という快挙を果たした海洋冒険家・白石康次郎さん。この二人の冒険野郎に、その体験がもたらしたものを熱く語ってもらった。

僕らは、好奇心の塊(尾辻・白石)

尾辻 白石さんの単独ヨット世界一周という大冒険と、私の五年にわたる世界放浪の旅とはだいぶ趣が異なるけど、ただ一点共通するのは、好奇心の強さじゃないかと思うのですが、いかがですか。

白石 はい、僕も好奇心の強さでは人後に落ちません(笑)。

尾辻 私は東京大学在籍中の二十五歳の時、これといって期するものもなく、ただふらっと、車一台と少しばかりのお金を持って、フランス郵船に乗り込んで未知の国へと出掛けていったんです。今振り返ると、なんとむちゃなことをと(笑)。

白石 僕は何であれ、その人にとって未知の分野であればそれが冒険なんだと思うんです。僕が自分で最初にした冒険というのは、小学三年ごろに鎌倉から東京・北区赤羽にあるおじさんの家に一人で電車に乗ったんですが、そのときは本当にドキドキした。当時の僕にとっては全く未知の世界に飛び込むわけですから、最高の冒険だった。

尾辻 私は自分のことを、「人間大好き人間」だと思っているんですね。だから人に対する好奇心でいろんな所に行きたくて、世界中をほっつき回ったんですが、基本的に人のいない所には行ってないんです。白石さんはむしろ孤独な場を求めておられるんですか。

白石 そういう質問をよく受けるんですが、ところがまるで違っておりまして、僕はレース中、一度たりとも孤独を感じたことはないです。

尾辻 ほう。

白石 そもそも孤独というのは環境が与えるものではないんですね。一人だから孤独ではない。確かに、船の中にはたった一人しかいませんが、そこには夢があり、希望がある。良き仲間と一緒に造り上げた船があり、陸には家族と仲間が待っている。それに目的地を目指して、二十四時間ずっとレースをしているわけで、常に気象状況を判断しなければならず、孤独に浸っている暇がないくらい忙しい(笑)。
 ところで、先生の冒険旅行には、目指すべき目的地があったんですか。

尾辻 いやいや、米国に到達したあのコロンブスがそうであったように、西へ西へと進んでいって、ヒッチハイクの女の子があっちの方向に行くというと、たちまち同乗させてそっちの方向に行く(笑)。そして、お金がなくなると、そこでアルバイトをして稼ぎ、また旅を続け、五年たったら、日本に戻っていた(笑)。

白石 当時は、日本人ということで珍しがられましたか。

尾辻 ユースホステルに日本人が泊まっているからと、現地の人が私を見に来て、「そうか、お前がうわさの日本人か」と(笑)。尾辻秀久という個人じゃなくて、あくまで日本人なんです。だからナショナリズムだけは強くなって、いつの間にか日本を背負っているような気分になってしまう(笑)。

白石 その当時から、日本を代表されていたんですね(笑)。


子供たちを赤道直下に連れて行きたい(白石)

尾辻 われながら、精神構造がどこか日本人離れしているなって感じることがあるんですね。それは、たぶんあの放浪の世界旅行の影響だと思います。二十五歳から三十歳のあの五年間は、極端に言うと、日本人としゃべっていません。あれはやっぱり、私という人間の出来上がり具合をかなり変えたんだろうなと思うのですが、でも帰国してから、おれは変わったなんて意識は全くなかったですね。白石さんは、どうでしたか。

白石 僕も残念ながら、悟りを開いて、帰って来ることはなかったですね。これだけ変わらないお前も珍しいって言われる(笑)。

尾辻 逆に言うと、あのような大冒険から帰られても変わらなかったというのが、またすごい。

白石 先生は、なぜ旅を終え帰ろうと思ったんですか。

尾辻 海外を放浪する若い日本人の中には、現地に居ついて帰って来ない人もおり、ときに半分浮浪者みたいな人にも出会いました。彼らを見ていると、明日はわが身かなと(笑)。それにしても、あのころはお金がなくても、毎日が本当に楽しかった。今、いくらお金を積もうが、あの時は取り戻せない。若い人たちには、二度と取り戻せないような貴重な体験を、ぜひしてほしいな。

白石 僕の場合、楽しさというのは、たった一人で今までの精神的、肉体的な経験のすべてを使えるということですね。自分しか頼れないという状況で、人知の及ばない自然に対して、自分のすべてを注ぎ込むというのが楽しいんです。

尾辻 うん、分かる、分かる。私の場合も、今日何が起こるか、明日何が起こるか分からないという感じの楽しさがあったもの。

白石 もちろん、楽しさだけでなく、いろんな負荷もかかり、そこから学ぶこともたくさんあります。

尾辻 僕が学んだことの一つに、議論の仕方の違いがあります。日本人はとかく、議論とけんかの区別がつかず、議論を始めるとけんかになってしまう。旅の間に外国人とたびたび議論をしたけど、彼らは議論に感情をはさまない。この点は教えられた。政治家になってからも、これは旅の効用だったなと感謝しています。

白石 だから、かわいい子には旅をさせろって、よく言われるんですよね。

尾辻 白石さんはレース以外に、冒険授業や海洋教室、ヨット体験などの教育活動をなさっておられますね。

白石 はい。恩返しのつもりでやっています。確かに世界一周をやったのは僕ですが、それを可能にしてくれたのは僕だけの力じゃない。産んでくれた両親、指導してくれた学校の先生方や、亡くなられた多田雄幸さんというヨットの師匠、スタッフ、それに資金面をサポートしてくれた方々がいたからこそ達成できたわけです。

尾辻 恩返しですか、えらいな。

白石 植物だって、花を咲かせ、実を結んだ後、種を落として、来年も芽が出てくるようにする。これが自然の理なんですね。だから人間も、教わったことは次の世代にきちっと受け渡すというのは、ごく自然なことなんです。僕は、子供たちを船で赤道あたりに連れて行って、地球の大きさを見せてあげたい、実感させてあげたい。自分たちが、いかに小さな所に住んでいるかなんて、いくら口で言っても分かりません。そして、その体験を自分たちの将来の夢に生かしてほしい。

尾辻 それはいい。白石さんは素晴らしい活動をなさっておられますね。


21世紀は人間が謙虚になる世紀(尾辻)

白石 日本は島国なのに、自分たちは海に囲まれているという意識が少ないんですね。例えば、食料の大半は外国から船で運ばれていて、もし、それが駄目になったら日本は飢えてしまうというのに、それに対する危機感がとても薄い。言ってみれば、海外から日本へ向けてたくさんの船が数珠つなぎになっていて、食料をはじめ、さまざまな補給を受けているわけです。ですから子供たちにも、地球意識というか、地球の中の日本のポジションということの大切さを教えていきたい。

尾辻 例えばテロ特措法の、あるいは新法の議論をするにしても、賛成か反対かは別にしても、白石さんが今おっしゃったような感覚がないと駄目なんですね。中東を旅した時、砂漠の中に入っていったことがありましたが、実体験として、イスラム教が砂漠の中から出てきたということが、よく分かるんですね。世界の現状直視というか、現場感覚というか、そういう理解の仕方って大切だと思うんです。

白石 おっしゃる通りです。

尾辻 最近、二十世紀というのは、どうも人間が不遜になった時代じゃないのかと思う。人間の力をもってすれば、自然など征服できるかのような思い上がりがあったんじゃないか。科学技術は万能で、神の領域にまで踏み込めると傲慢になってしまった。でも、そうじゃない。自然という、人間がとても太刀打ちできない大きな力があるということを、きちんと教えておかないといけない。だから二十一世紀とは、もう一度、人間が謙虚にならなければならない世紀じゃないかと思うんですね。その意味でも、二十一世紀を担う子供たちへの、白石さんの教育活動には期待しております。
 今後のレースのご予定は。

白石 これまで日本人は誰も参加してない、ヴァンテ・グローブというノンストップ世界一周のレースに出場する予定で、うまくいけば来年十一月に出航します。

尾辻 レースでのご活躍と安全を祈っています。今日は楽しいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

白石 こちらこそ、とても楽しかったです。

白石康次郎白石康次郎(しらいし・こうじろう)さん
海洋冒険家/
昭和42年、東京都生まれ。神奈川県立三崎水産高校を卒業後、単独世界一周ヨットレースで優勝した故・多田雄幸氏に弟子入り。平成3年、豪シドニー〜伊豆・松崎間の太平洋単独縦断に成功。5年の26歳の時、ヨットの史上最年少単独無寄港無補給世界一周の記録を樹立。14年、念願の単独世界一周ヨットレース「アラウンドアローン」に出場し、クラス?(40フィート)で最速のハリーミッチェル賞を受賞。18年、世界一周レース「VELUX5OCEANS」(アラウンドアローンから改名)に、アジア人で初のクラス?(60フィート)に参戦し、2位入賞の快挙を果たす。著書に『七つの海を越えて』など。

尾辻秀久

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