老骨を踏み台に
第五十七回鹿児島県連合定期大会挨拶 平成二十三年六月二十五日
散り際は、桜の花のごとくに美しくありたい。日本の文化であります。日本の心であります。
ところが今、散り際で思いっきりみっともない姿をさらけ出している男がいる。これが、一国の総理であるだけに始末に悪い。情けない。しかし、それを言うならば、その情けない男の首をいまだに取れない、我々も情けない。その責めを、責任を一身に負うべき国会議員の端くれとして申します。
今、永田町におりますと、幕末かく在りやと思うことしばしばであります。幕末の世では、多くの志士が国を想い国のために命を賭けました。西郷も大久保もそれぞれ散っていきました。見事な散り際でありました。
郷土史の研究家が言ったことがあります。西郷、大久保は確かに偉かった。しかし一番偉かったのは、時の藩主・斉彬である。若き西郷、大久保に「存分に働け、責任は取ってやる」と言ったからであります。日本国が国難に見舞われたとき、薩摩は必ず立ち上がりました。
今こそ平成の西郷、大久保よ出よ。老骨を踏み台にしろ。老骨枯れて本望なり。国会議員の代表として代表にならない老骨のたわ言でありました。お聞きをいただきましてありがとうございます。お聞き届けいただけば、もっとありがたいです。ありがとうございます。
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